消費されるだけのテキスト

放置状態ですみません。
いろいろ気が多いもので。
次回メルマガの質問です。
皆さんならなんと答えますか?
●質問●
村松さま。
初めてお便りを差し上げます。****と申します。
東欧在住の主婦です。
村松さんのメルマガは友人の薦めで4年前から購読させて頂いています。
毎回、文章業にとどまらない、奥の深いお話を聞かせていただいて、
本当に有り難く感じます。
今回、私がお聞きしたいのは、「消費されるだけのテキスト」についてです。
私は、この春から、Wordpressというブログツールで本格的に自サイトを再構築し、
今度こそ息の長い良質なサイトにしようと、手間暇かけて育てているところです。
そこで、運営のヒントになればと思い、
「ブログ運営に関する記事を書いたブログ」を時々見に行っていたのですが、
あちこちで「消費されるだけのテキスト」という言葉を目にし、
ブロガーの寿命と燃え尽き現象について考えさせられました。
私も以前は勢いのままに書き散らし、
3ヶ月もすれば急激にテンションが下がって、
自分でもいったい何が書きたいのか、
何の為にやっているのか分からなくなることがしばしばありました。
また、その時に付いた読者さんに応え続けることが負担になって、
突然、方針を変えたり、結局、閉鎖してしまったりと、
迷走することも多かったです。
今はそうした反省を踏まえて、
一つ一つのテーマにじっくり取り組むようになりましたが、
波に乗りながらも、どこか満たされない人の気持ちはよく分かります。
書いたその時は、たくさんの読者でワーっと盛り上がるけれど、
いつの間にかウケ狙い、媚びへつらいで自分自身を見失い、
書けば書くほどすり減っていくような気持ちを、
「消費されるだけのテキスト」と言うのかもしれませんね。
今は「検索全盛期」で、人は自分の欲しい情報だけをピックアップし、
そのまま飛び去ってしまう……ということが本当に多くなりました。
以前は、ブックマークから来て、全体を見てくれる人も多かったですが、
今は、自分がよく行くサイトの管理人の名前も知らない、
検索でヒットした下層ページから何度も入り込んでいる割には、
トップページなんか見たこともないという人が、
大多数を占めているとも言います。
そう考えると、ネットに書かれた記事なんて、
所詮、読み捨てられるだけのものに過ぎないのか。
そこで書き続けることにどんな意味があるのだろう、と時々、考えます。
村松さんは、その場のノリでどんどん書き散らして、
ついには燃え尽きるブロガー、
あるいは「消費されるだけのテキスト」について、
どのような印象をお持ちですか?
息長く続けていくコツは何でしょう?
また今後、オンラインで書くこと(1億総ブロガー状態)は
人々の意識を変えていくのか、
検索文化の行き着く果てには何が待ち受けているのか、
ご意見をお聞かせ頂ければ嬉しいです。
よろしくお願いします。