今回は、たくさんのいい反響をいただいたので、メルマガではなく、ここに掲載します。
まず最初に質問をくれた方からのメールです。
●反響1●質問者の方から
村松様、お答えいただきありがとうございます。
自分がなぜ技術にこだわるのかというのを考えてみました。
私が小説を書こうと思ったとき、人に褒められたいと思いが強かったです。
人に褒められるためにはどうすれば良いかと考えた時、自分の書きたいものをそのまま書くのでは駄目なのではないかと思うようになりました。
技術を学んでから、書きたいものを書いたほうが、人から褒められるのではないかと思っていました。
自分の成長する目的が人に褒められたいことだとはっきりとわかりました。
質問に返答していただきありがとうございます。●村松コメント●
人から褒められたいというのも強力な動機であることは間違いない。でも、それは動機の半分であって、もう半分は内発的なものだと思うけれどもね。
それは書き続けていけばわかることで、今のあなたには必要のない考えであるかもしれないので、あまり言わないことにする(笑)。
●反響2●6年前からの読者さんから
村松さま
メルマガ、6年前から拝読しています。
ここ数年は感想をお送りすることがなかったのですが、
今回の「大作」では数々の言葉が心に突き刺さり、
思い切って送ることにしました。
私はもう「若者」ではなく、
自分で考える術もそれなりに身につけ、
昔のように絶望したり
身動きがとれなくなったりすることも
今ではほとんどなくなりました。
それでも、ひとりでひたすら考えていると、
時々「私は間違っているのだろうか?」と
不安になるときがあります。
そんなときに、村松さんの言葉に出会うと
心の奥深い部分で、励まされます。
今回の「大作」、後半部分がすごかったです。
うまく表現しようとすると陳腐な言葉になってしまうので
あえて「わかる」と書かせていただきます。
「わかる」ことの快感に痺れました。
>小さな才能は、小さな技術を身につけて、
>小さな花を咲かせればいいのです。
これを自分でつかむまで、
どれほど長い時間を要したことか。
私が目指したいものは「プロ」ではなく、
「最高の技術」でもなく、
「有名になること」でも、
「金を儲けること」でもないことを、
自分で「わかる」まで、ずいぶんかかりました。
それに気づいたとき、
自分がいかに狭い枠の中でもがき、
なれるはずがない他人になろうとして、
苦しんでいたかを思い知りました。
6年前、私が送った質問に対して
村松さんが書いてくださった言葉は、
私にとって新たな世界、
いままで見えなかった広い世界への鍵でした。
6年経った今思い返してみても、
「ああ、あれが鍵だったなあ」と思います。
今でもたまにその鍵を確認することがあります。
ということは、相変わらず、
私はなにもわかっていないのかもしれません。
でも、いまいる場所は、以前いた場所とは
明らかに違う、それだけはわかります。
これから自分がどうなるかなんてわかりませんが、
私にはこうすることしかできない、ということを
くさらず自棄にならず、自由な心で、やっていきたい。
感想といいながら、私事になってしまいました。
読み返すと結構恥ずかしいことを書いていますが、
今回は「初期衝動」にまかせてこのまま送ります。
これからも、「魂に響く言葉」に出会えることを
楽しみにしています。●村松コメント●
言葉では簡単なことでも、それが本当に自分の中心に落ちて自分の感覚と結びつくのには、時間がかかりますね。
しかし、だからこそ、そうして手に入れたものには値打ちがあるとも言えるのです。
そのことにしか値打ちがない、と言いたいくらいなのです。
今日聞いて、今日わかる情報はそれだけの値打ちしかない。他人のものです。
しかし、時間をかけて消化したものは、自分のものです。
自分のものを持っている人は、話をしても楽しいです。
●反響3●小説を書いているライターさんから
村松さま
こんにちは。昨年正月あけに、文章カウンセリングをしていただいた*****です。
お元気ですか。
ご無沙汰しておりますが、メルマガは届くと必ず3度読み返しています。
本日届いた232号、表現にとって技術とはなにか、にめちゃくちゃ感動しまして、その感想をお伝えするがてら、ご挨拶もさせていただこうとメールしました。
(近況報告など中略)
本当に、小説を書くことにはあまりにも正解がないので、ひとつひとつ自分で選択して責任をとらなければいけないので、大変ですね。あとあとになってすら、正解だったのか間違っていたことかわからない。
...と、長々と身の上話を書き連ねてすみません。
秘伝はこんな日々の大きな支えとなってくれています、ということをお伝えしたかったのです。
根本的に、自分が嫌い、自分をばかみたいだと思う、その性質のためにずっと苦しい思いをしていたのですが、それをする必要はない...でむしろ"してはいけない"と一昨年のメルマガで村松さんに断言してもらったことで、少し変わることができました。
"そもそも自分は...""どうせ..."と思うたびに、"絶対に自分を否定してはいけない"という言葉を思い出して断ちきるようにしました。そしたら、だんだん簡単に断ちきれるようになったし、そういうふうに考えなくなったのです! あの別のところからふっと風が吹いてきたような気分は、ずっと忘れないと思います。長年してきた思考のクセを断ちきるなんて、そんなの無理、と思っていたので、それがあっさりできてしまって本当に驚きました。
さらに、書いたものに対して、"こんなこと書いてもなあ"とか"どうしようもないレベルなんだろうな"という感情も、あまり持たないようになりました。
というか、自分のことを"うんざりする"と思っていたら、書いたものもうんざりするのですよね、当たり前ですが。
そういうことをしみじみと実感しました。
"こうではない自分""ああはなれない自分"ではなく、別の視点から自分を見てみようか、と思うようになりました。
好きなことを好きに書けばいいんだ、と、書くと当たり前のことですが、そう言い聞かせて書くようになり、そしたら、なんだか書いてるときの感じまでも、少し変わった気がします。
...とはいえ、今は重度の停滞期で、それが終わる予感もあまりないのですが。
自分を信じるって、本当に難しいですね。そういえば私の今年の目標は"自分を騙す、持ち上げる"なのですが、これは私にとっては、イコール自分を信じる、になります。
そんなときに、今日のメルマガを読んで、衝撃を受けました。
うわあ、すごいことが書いてある!と、何度も読み直しました。
自分の才能を見つけて育てられるのは自分だけ。
必要なのは努力よりも勇気。
延期してはいけない。
書いててまた涙が出てきます。
どういう涙かわからないのですが。
核心をつかれた涙なのでしょうか。
小説を書いて悶々とすることは、完全な一人の世界で、ときどきあまりになにも見えないのでほとほと嫌になります。友達と話しあうようなことでもないし、作品を待ってくれる編集者もいないので。
なので、秘伝は本当に唯一の心の支えです。
ありがとうございます。
長々とすみません。明日、読み返して送るべきなのですが、
すみません、延期せずに送ってしまいます。
衝動の矛先にしてしまい、すみません。
これからも楽しみにしています。
『心の取り扱いかた』の本も、発刊を楽しみにしています。
夏真っ盛りですが、お体に気をつけて。
今の作品ができたら、また文章カウンセリングを受けさせてください。●村松コメント●
お元気そうで何よりです。
メルマガを頼りにしてもらってうれしいです。
表現者は孤独だけれども、共通のものもある。
その共通の部分をなるべく言葉にして共有したいと思っています。
『心の取り扱いかた』の本は、いま、『自己嫌悪』の本として書いています。メルマガの質問でも、周囲の人でも、強い自己嫌悪に悩んでいる人が多いんだもの。自己嫌悪って若いときには、誰にでもあって、僕なんかも相当あったような気がするけれど、そんなにいつまでも固着するものではなかったのです。
成長の過程で、自我が拡大したり、縮小したりしながら、だんだん客観的な自分像との差がなくなっていくものです。
それがいつまで経ってもチューニングが合わない人が多くなっています。
そのチューニングの合わせ方の本です。自分で言いますが、すごい本なので期待してください。
早く書け>自分
●反響4●大学生の方から
村松さん、こんばんは。一度だけメールを送らせて頂いた者で
す。あまりにも初歩的な質問を送ってしまいましたので、きっ
と覚えていらっしゃらないと思います。
今回は、感想を少しだけ書かせていただきます。
私は大学に通っています。
授業の中に演習という必修の科目があり、美術に関する演習を
受講しました。その先生は大学の美術史を教えている先生です
が、その授業では「自分から作品に歩み寄ること」の練習をし
ました。
身体に障害をお持ちの方の作品を見たり、ピカソの絵の変化を
見たり、浮世絵の持つ土地のイメージを見たり。
ピカソの初期の作品はとても精密な写実画(...と正式に言うの
かはちょっと忘れてしまいました)でしたが、晩年に近づくに
つれて、だんだんと私たちが「ピカソの絵」と聞いて最初に脳
裏に思い描く、子供が描いたような絵に変わっていきます。
その際先生がおっしゃっていたのは、物事を心で捉えること、
描きたいという衝動のままに描くことが一番難しく、一番大切
なことだと言うことでした。ピカソは十代にしてとても精密な
絵を描いたが、彼は心のままに絵を描くことに没頭して、あの
子供のような絵にたどり着いたのだろう、と。
きっと今回のメールで村松さんがおっしゃっていたのは、この
「心のままに」作品をつくることなのだろう、と私は思い、そ
れはとても難しいけれどとても気持ちのいい事なのだろうと、
心の中にすとんと落ちてきました。
実はこのごろ、楽しんで描いた絵が、友人の絵と比べた時にダ
メなところが見えたり、小説を書きたいな、という気持ちだけ
で中々手が進まないことにしこりのようなものを感じていまし
た。
でも、書きたいと思ったときに書くことが大切なのだな、と思
うことで、少し気持ちが楽になりました。今は学生なのでテス
トやレポートがありますが、書きたいという気持ちがあればい
つ書いてもいいのだ、と思うことが出来たので、これからも楽
しんで表現することができる気がします。
半年かけて「表現」を教えてくださった先生と、今回の村松さ
んのメールに、とてもありがとうございます、と伝えたかった
ので、メールさせていただきました。
読み辛い文章だったと思いますが、これからもメールマガジン
の配信を楽しみにさせていただきます。●村松コメント●
美術史の先生も、ほぼ僕と同じような見方といってもいいかもしれませんね。
僕が前回書いたことは、誰かの意見を借りたものではなく、僕の中でずっと考えていたことです。
でも、多くの表現者が考え感じていることのエッセンスでもあります。
だからこそ『秘伝』なのです。
同じことを感じている人はたくさんいますが、僕ほど露骨に明示的に正確に書こうと努力した人は少ないでしょう。なぜかそういう役割になってしまいました(笑)。
技術や知識や努力は、足し算で蓄積していけます。
しかし、初期衝動というのは、蓄積ではないので、学校のカリキュラムや本などにはなじまないのです。
でも、脈々と生きています。
焦らないで、他人と比べないで、自分のペースで書いてください。
●反響5●技術者の方から
村松様
私は、真の技術者になることを志にしている者です。
名前を****と申します。
歳は38、現在、うつ病から回復に向かいつつあります。
今回、ふと、秘伝-通算232号 「表現にとって技術とは何か?」
を読んで、私が以前から悩んでいたテーマ「技術と人の心」に
対して、一筋の光を見た感動を覚えました。
私は、若い頃、自動車メーカーに勤め、たくさんの師匠から
多くのことを教わりました。
その後、転職を機にコンピュータ業界に入り、若い子たちに
"技術"というものを伝えたくて苦難していました。
今回の村松様のお話を聞くことができて、大変ありがたいと
感謝しております。
すべて読み終えたあと、「まさにその通り!」という気持ちで
いっぱいになりました。
特に"初期衝動"のお話には深い感嘆を味わいました。
私は、まさに初期衝動にしたがっていたおかげで、
自然に自動車やコンピュータや、それを支える技術(
文章で表現する技術、図で説明する技術、人の気持ちを
一つにする技術など)が扱えるようになったんだな。
と悟った気持ちになっています。
じつは私は、先日まで親離れできない精神状態にありました。
心の奥で「親に愛されていない」という気持ちがあったのです。
幼少のころは、姉が手間のかかるやんちゃ娘だったせいもあり
私は、あまり世話を焼かれることはありませんでした。
「****は、いいこ」「****と姉が反対だったらいいのに」
という言葉を浴びながら育った記憶があります。
そんな幼少のころは、機械じかけのものに夢中で、一人で
黙々と遊んでいました。しくみをもっとしりたくて、あちこち
いじったりバラバラにしていたせいで、よく家中の機械を
壊して怒られていました。
いまでは、それもいい思い出です。
結局、私は体は大人になったけど、こころは幼少時代の
ままだったのかもしれません。そのおかげで"初期衝動"
と同じように、私の言葉で言えば"こころのおもむくままに"
技術を触れ合ってきました。
いま、サラリーマン技術者をすて、起業の道へと進もうと
決意しております。私の技術力で、いかに多くの人たちに
喜んでもらえるのか? 楽しんでもらうにはどうしたらいいのか?
それを自然に毎日考えてしまい、とても幸せな人生を迎えたと
感じております。
村松様のお話をうかがって、自分の進む道に躊躇していた
自分が、スッと消えた気がします。
あらためてお礼申し上げます。
このようなお話をお聞かせいただき、どうもありがとうございました。●村松コメント●
自分で工夫、創造することがいちばん楽しいし、身にもつくのですよね。
なにごとも生成発展するときに立ち会うのがいちばん楽しい。
最近の官庁や食品業界の不祥事を見るにつけ、システムを作り上げる発展期は楽しいけれども、維持管理メンテナンスをするのは、楽しくない。だから、これだけマインドが落ちているのではないか、と想像しています。
一方で若い人は何事にもマニュアルがあると思っているから、自分で考えろと言われても、なかなかその場で起きていることを自分のものとしてとらえられない。
社会全体があまり創造的でなくなっているのです。
起業の道もたいへんなことがあると思いますが、自分の道であれば、努力も苦にならないともいいます。成功をお祈りします。
- Last Modified: 2008年8月 9日 18:30
