意識編 Archive

書き出し

昔、大宅壮一は雑誌記事は「最初の3行でつかめ」と言った。

それが古典。

でも僕は書き出しに趣向を凝らすより、「なるべく早く本論に入る」、ということにウェィトを置いているかな。
もう最初の1行から入りたい。

これだけ読み物が氾濫してしまうとね。
読者はなるべく余計な文字は読みたくないんだ、というとてもネガティブな認識から書き出すんだよね。


読ませる

他人に読ませるときは、それを読んでどう感じてもらいたいか、という狙いがなくてはいけません。
笑わせるのか、泣かせるのか、考えさせるのか、興奮させるのか、とにかく読んだ人間が刺激をうけて、心を動かして、その刺激を快く感じるという作用が生まれなくてはいけない。
そうでないと、文章を通じて赤の他人とつながっていくという力は生まれません。


赤裸々さ

種田山頭火という俳人がいるんだけど、この人は生涯孤独に苦しみながらも、我が強くて一人でしか居られないという矛盾した人で、そういう自分の心情を赤裸々に日記と俳句に残しています。
誰にでもそういう面はあるのだけれど、その赤裸々さが人の心を打つのです。機会があったら読んでみてください。


詩を書くなら

詩のような形で書く、抽象的に書くということを、多くの人はなんとなく気分で書けるから、というような理由で選んでいるような気がする。
詩を書くなら、詩でしか表現できないことを表現していただきたい。それは手近な感情ではなく、もっと予感的な、もっと世の中に認められていない、名前のつけられていない、かけがえのない感情や思想です。さびしい、という一言ですむなら別に詩を書かなくても、さびしいと言えばいいのです。
詩が適当にごまかしの利く形式だと思って使う人がいると、ますます詩の読者が減ります。


美意識的にいうと

美意識的にいうと、詩を書くときは、ナマな作者というのは、どうせなら言葉の陰にきれいに身を隠してほしい。尻尾が見えるくらいなら散文を書いていただきたい。


小説

小説という虚構を何を目的として作り出そうとしているのか、ということをときどきふりかえってみる必要がある。


感覚

感覚を育てるためには、日常的に文章を書いていくことが大切です。大量に書くことに耐えられる感覚なら本物です。


動機

書く動機がはっきりしていないと、読者も読む動機にかけるのです。


正直な自分を書く

文章というモノは書かなかった思惑まで出てしまうものなので、多くの人に通用する文章にしようと思えば、結局正直な自分を書いていくしかないのですよ。


著者のポジションを明かす

インターネットでは、匿名の発言が許されている場であることから、自分の立場を曖昧にして書く人が多いけれど、文章の世界ではそれははっきりマイナスです。
文章というのは、対象を表現することを通じて、自分自身をもまた表現してしまう性質のものなので、そこを逃げているといつまでも表現の芯が生まれてきません。
文章上達をめざす方はこのことを忘れずに!


基本

自分に厳しく、読者に甘く。これが基本です。


文章表現

表現って自由なのです。

弟子 「師よ、文章を今までまじめに勉強して来ましたが、結局つまるところ、じつは『何やってもいい』ということなのですね」
師 「左様。弟子よ、免許皆伝じゃ」

うまいもへたも、売れるも売れないもかりそめの基準にすぎないのですよ。
でも、その基準があるからそれをめぐって遊べるのです。


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