校長先生のブログ 構文 Posted on 2008年5月16日 by 村松恒平 「金のために働く」ことが不快なのは、そもそも「~のために~する」という構文が不快なのである。 「お国のために死ぬ」「試験のために勉強する」……。 行為が自己目的であることが自由につながる。 村松恒平 村松恒平 の投稿をすべて表示