創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-11-25 21:09:16

でんでら
メンバー
登録日: 2018-01-11
投稿: 334

さやかさん

さやかさんと初めて教室で机を並べたのは、私が高校二年生の四月の時だった。花冷えのする午前中で、窓際に私、その隣がさやかさんだった。
私の高校は、二年生になると文系と理系に別れる。私は文系専攻で世界史を選択していた。私は一組、さやかさんは六組で、お互いの教室は廊下の端と端にあった。
さやかさんは、ショーヘアーがとても良く似合っていた。
当時、女優のU・Tのショートヘア―やH・Rのショートボブが流行っていた。私の後頭部は「クライミングしたくるなるほどの完璧な絶壁」と母に言わしめるほどだったので、ショートヘアは諦めていた。対照的にさやかさんはエジプトの壁画に描かれた人物ように、美しい後頭部だった。うらやましかった。
先生のオリエンテーションが終わった時だった。
ふいにさやかさんがこちらのほうを見た。
私はクライミングの練習で、ルートを見失ったときのような焦りを覚えた。
さやかさんはじっと私のほうを見ていた。私はすぐに教科書に目を落とした。私の頭の形がおかしいのか、顔のニキビの数を数えているのか、とかいろんなことを考えた。さやかさんの肌は色白で、ほっぺは少し桃色で、その上顔も小さくフランス人みたいな長いまつげを持っていた。
五分ほどしてさやかさんは視線を教科書におとした。
私はそっと横目でさやかさんの私服を見た。白黒のボーダーTシャツにオーバーオールを着ていて、その上から赤いパーカを羽織っていた
なんでもない取り合わせなのに、なんでこんなにおしゃれに見えるんだろう、と思った。

週二回の授業だった。そのたび、さやかさんはじっとこちらを見ている。
はじめは外の景色を見ているのだろうと思っていたが、私が右に振り向くと必ず目がある。さやかさんは焦って目を伏せるわけでもなくて、一〇秒くらい私のことを見つめると、教科書に目を落とした。

「なーんか、気持ち悪くてさー」
七月の始めだった。
同じ登山部のあべちゃんと図書館に向かう廊下を歩きながら、私は吐きすてるように言った。
私たちは夏休みに登山部の全国大会に出ることになっていた。そのため、今日は天気図の解読の練習をしようということになった。
図書館に入るなりあべちゃんが私の肩をつついた。
「ちゃこ、例のあの方がいるよ」
ひそひそ囁く声は、どこか面白がっているように思えた。
あべちゃんて、ほんとうにいつも人ごとなんだから、と私は少し呆れた。
さやかさんは図書館の南側の窓際に五つ並んでいる自習机の一つに座って勉強をしていた。
私たちは自習机の脇を通りぬけ、図書館の奥の背の高い棚に囲まれた四人掛けの机に座った。
館内は私たち三人しかいなかった。
薄暗くひんやりとした館内を、セミの声とグラウンドで練習をする野球部の掛け声が通りぬけていった。
「さやかさんってさぁ」
あべちゃんが私の耳元に口を寄せてきた。うっすらと納豆のような臭いがした。
「放課後はいつもここで勉強しているんだよねー」
あべちゃんはさやかさんと同じクラスだった。
「部活に入っていないんだ」
私が言うと、あべちゃんは自習机のある方向に天気図の本を立てた。
「閉館ぎりぎりまで勉強してる。でもさ」
あべちゃんは、本を壁にしてひそひそと話を続けた。
「うちらみたいな偏差値の学校で一番になっても、二流の国立大へ行くのがやっとじゃん?」
「それ、嫌味?」
私は少しむくれた。私の前回のテスト順位は、四六〇人中四三〇番だった。あべちゃんが一瞬泣きそうな顔になったので、私は慌てて「うそ、じょーだん!」と言って笑ってみせた。
「さやかさんのお母さんって、さやかさんが九〇点とってもほめないんだってさ」
あべちゃんが言った。
「まじっ!うちだったら、こづかいが一万円になるよ!」
「それ、もらいすぎ!」
二人で笑った。
そして、いつの間にか私たちは天気図の読解に夢中になっていた。

図書館の先生に閉館の時間だと言われて私たちは外へ出た。
さやかさんと出口で鉢合わせになった。先にあべちゃんが、さやかさんにじゃ、と軽く声をかけた。
「中学の時吹奏楽部だって聞いたわ」
突然さやかさんが私に声をかけてきた。まるでアルトフルートの音色のように、透明感はあるけれども低い音程だった。意外だった。
「えっ」
私は思わず声を詰まらせた。どうしてそんなことを知っているのか不思議だった。
「あべさんが話していることを聞いたことがあるの。吹奏楽部の子が登山部に入ってきたって。その子はホルンを吹いていたって聞いたわ」
「私そんな話、したかなあ」
あべちゃんがしどろもどろもになって答えていた。
「あなたが、みついさんと話ていたのを聞いていたのよ」
さやかさんはあべちゃんのほうを見ずに答えた。
「私も中学の時、ホルンを吹いていたの。楽しかったわ」
さやかさんはそれだけ言うと私たちの側を通りぬけていった。怪訝な顔でお互いを見やる私たちの間には、さやかさんの残していった石鹸の匂いだけがかすかに残っていた。

次の日の放課後、あべちゃんと図書館に向かう廊下を歩いていた。いつものように、西廊下は人がおらずセミの声だけが響いていた。
図書館脇の屋上に続く階段からぶつぶつと念仏のような声が聞こえてくると言ったのは、あべちゃんだった。
あべちゃんと二人で声の方向を見やると、階段の最上段で、壁に向かって何かをぶつぶついうさやかさんの姿があった。
まるで変質者に声をかけられた時のように、私とあべちゃんは声を失った。それからお互いの顔を見つめ合い、急いで図書館へかけこんだ。
私がクマを発見した登山者のように司書の先生に報告すると、先生は少しおどろき、一組の担任に内線で連絡を取っていた。
その次の日、さやかさんは丸坊主で登校した。
あっという間にその話は学年中に知れ渡り、私が廊下に出て見ると、一組の教室の前で先生がさやかさんを保健室へ連れて行こうとしていた。さやかさんは無表情で担任の手を振りほどき、一時間目の世界史の授業を行う三階の教室のある方向へ一人で歩いて行った。
世界史の先生も一瞬驚いたが、そのまま授業は続いた。
こんどは私がさやかさんを観察する番になった。
たぶん自分で剃ったのだろうか、虎刈りになっていてところどころ出血していた。でも本当に後頭部が美しくて、ずっと見ていたい気分になった。ざらざらしているだろう後頭部をやさしくなでてみたくなった。
「私、ホルンを吹いている人が好きなの」
急にさやかさんが話かけてきた。
「……」
私が黙っていると、さやかさんはにこっと笑った。私は自分のほほが火照るのが分かった。日焼けしていて良かった、と思った。
私はさやかさんのノートに目を落とした。判別不能な文字が書かれていた。
放課後、先生に呼びだされた。
「さやかさんとずいぶん仲がよさそうだけど何か知っている?」
「知りたいのはこっちです」
私は答えた。

さやかさんはいつの間にか、退学していた。

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