創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-12-01 11:57:11

村松恒平
管理者
登録日: 2017-12-27
投稿: 297

年来稽古 show3418さん講評

色気という言葉は、調べてみると、あまり古い典拠がなさそうです。
最近の言葉なのですね。
色、という言葉を多義的に拡張して使う用法は少し古くありそうですが。

しかし、この言葉を触媒に、今回はまた新しい領域に踏み込んだと思います。

それは四本の柱の内側が俗気を持ち込んではいけない聖なる空間であること。
そういう聖なるものをめぐって村の共同体の教育が行われていること。

>非人の村とはいえ、芸能を司って奈良の興福寺や多武峰の妙楽寺の庇護を受けているこの郷は、田畑に縛られて年貢を搾り取られる近在の農村よりも、かえって裕福な暮らしをしている。

これなどなるほどとストンと腑に落ちるところです。
能の母胎である村の姿がたいへんはっきりしてきました。
またこの稽古・教育が現代から見ると、理想に近い。

子どもたちの個性を殺さぬままに、秩序立っている。

>「ははー」「畏ってござる」「承り候」「御意」
口々に色々な返事が返って来て、乙鶴は思わず声を出して笑った。

このいろいろな返事と、乙鶴が心から笑ってそれが村の中に響くところ、とてもよいです。

これが花伝書が自然に生まれてきた景色となるとは、心憎い趣向です。

能や花伝書がこんなに血肉化した景色となるのはすばらしいことです。
NHKが大河ドラマで作りたがるに違いありません。

そういうレベルになってきています。

そして、乙鶴の造形がすばらしいですね。
いい女です。
女と母が見事に同居している。
そして教育者であることも、すべて一体です。

同じしたたかな芸能者である清次をころりとだまして、慌てさせています。

>「良いですか。色気とはこういう時に使うのです。わかりましたね。」

この切り替えがよい。

乙鶴というまことに艶と才能と知性のある女性が母であることで、世阿弥の血脈が納得がいきます。
乙鶴はたしか虚構の存在でしたよね?
しっかりと息づき始めました。

3つの新しいテーマの展望がひらけたように思います。

能の聖性の起源を物語を通じて明らかにすること。
これは大切なことです。
このラインが一つ見えてきました。

もう一つは花伝書を始めとする世阿弥の著書、概念の物語的な読み解きです。
これも非常に楽しみです。

さらに当時の芸能世界の全体像を浮かび上がらせることです。

*
これらはただならぬテーマですが、showさんの想像力には、くっきり見えてくるように思います。

まだまだこの物語には潜在能力がありますね。

オフライン

#2 2019-12-01 17:21:36

show3418
メンバー
登録日: 2018-02-09
投稿: 301

Re: 年来稽古 show3418さん講評

村松さん。講評有難うございました。
色気と言う言葉はやはりそのままでは中世には馴染まないように思いました。ところが他の何か相応しい言葉を探してみると、例えば自我とか恣意では子供向けではありませんし、良い言葉が見つかりません。なかなか絶妙な距離感というか膨らみというか、これは本編でも色気で良いような気がします。
今回、最初の一行だけは、課題が出てすぐに出来ていたのですが、そのあとを書き始めたのは、締切当日で、どうなるかと思いましたが、追い詰められて本塁打を打ったみたいですね。
「風姿花伝」の「巻一 年来稽古の条々」は、子供の成長に合わせた稽古や指導法を説いていて、教育論としての素晴らしさは多くの人が述べています。私は、これはシュタイナーの教育論に匹敵するのではないかと思います。何故それ程素晴らしい教育論が可能だったかというと、後継者の育成が、一座の浮沈に関わる事を、観阿弥世阿弥は誰よりも切実に知っていたからです。『覇王別姫』という映画がありますね。あの映画では子供たちを奴隷のように縛りつけ、恐怖によって芸を仕込んでいます。風姿花伝の年来稽古からは、あの情景は見えて来ません。義満の元に様々な芸能者が集って競い合いましが、最終的に観世座の一人勝ちになる最大の理由がここにあると思います。観阿弥の数多い教えの中から、とにかくこの年来稽古を冒頭に置いた世阿弥は、より明確にわかっていたはずです。
乙鶴は、観阿弥に曲舞を伝授した者として名前だけが知られています。
十二郎は、世阿弥が年老いた十二郎に相応しい鬼の能を作り、それを舞った十二郎が世上の称賛を得、その礼状を世阿弥は伝書の何処かに載せています。今回、桧垣又の猿楽者としたのは思いつきです。桧垣又は、「鳥」のお題で少し神話的なお話を書いた、その物語の里です。猿楽の一座があったとの伝承があります。
もう一つ。四本柱もそうですが、観世座の人々が住む村の形も私の創作で、これは縄文の村なのです。結崎郷の他の村も同じ形かどうか、違うなら何故観世座の村だけがこうなのか、一つ書くと一つ謎が立ち上がって、際限がありませんが、これがなかなか楽しいのです。
ずっと翁舞の伝承によって興福寺の扶持を受けていた結崎座と、猿楽の一座である観世座との関係がわからなかったのですが、ここに来て俄然実体化して来ました。これもこの文章学校での修行のお蔭です。

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#3 2019-12-02 09:21:32

村松恒平
管理者
登録日: 2017-12-27
投稿: 297

Re: 年来稽古 show3418さん講評

物語を紡ぐという言い方がありますが、まさにそういう感じですね。
一つ一つ紡ぎ出した素材は本人のものとは離れたリアリティを持ち始める。

長編を俯瞰してプロットを考えたのでは出てこない細部が生まれていると思います。

それに立ち会うのは、楽しいものです。

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