創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-12-25 01:50:21

show3418
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登録日: 2018-02-09
投稿: 301

観世音菩薩

応安元年(一三六八年)多武峰{とうのみね}秋の祭礼が終った。清次を初めとする観世座の一行は、この年も第一等に叙せられて、意気揚々と結崎への道を歩んでいた。舞台で用いた衣裳や道具類に加えて、主催する妙楽寺より与えられた米俵を積んだ荷車は、一座の若い者たちが前後に取りついて四五人がかりで押して行く。鬼丸と草鞋の兄サは先頭を跳ねていたかと思えば、荷車の後ろを並んで歩く清次と乙鶴にじゃれかかり、また前の方へ走って行く。さすがの芸能者たちも重荷を引きながらの五里の道は一日ではかなわない。特に多武峰から石を剥き出しにした古墳の脇を抜けて明日香を過ぎるまでは、全体下り道とはいえ起伏も多少ある。一行は橿原神宮に宿を取ることとなった。
  このあたりで山賊のことはあまり聞かないが、目立つ荷物を引いての道中である。然るべき神のふところを頼るに越したことはない。それでも荷車の前には篝を焚いて、腕に覚えの者たちが交代で番をする。この束ねにいるのは十二郎という六尺にも届きそうな髭面の大男である。
  その十二郎と清次、乙鶴、そして出屋敷のジイと呼ばれる観世座の長老の四人が篝火から少し離れて腰を下した。鬼丸と兄サは既に疲れて眠ってしまっている。道すがらこれまでの子細を乙鶴から聞き、出屋敷のジイが承知の上で鬼丸を一座に引き込んだと知った清次は、乙鶴とジイに恨みがましい目を向けたが、当の老人はカラカラと笑い飛ばして収めてしまった。
「二人が揃うて現れたら越前がさぞ喜びましょう。」
越前というのは出屋敷のジイの妻である。この老人は結崎に伝承している翁舞の庭元{にわもと}であり、越前は先代の乙鶴、つまり今の乙鶴の母親とともに曲舞の一座を率いた曲舞舞であった。
「乙鶴は佐々木殿の室になりましたがな、いろいろあってこうしてまた我等のもとに戻って来た。清次殿は鬼丸の父について多少の疑いをお持ちであろうかの。」
「いやそのようなことは・・・」
「いやいや疑って当然。それは乙鶴とて承知のことよ。だが我等芸能の者たちは昔よりそうして生きて来たのじゃなあ。一座に生まれた者は皆座長の子よ。本当の父親など詮索してもせんないこと。ところで越前のことは皆はご存知かな。」
「越前様のことと言われても、さて一体何のことやらわかりませぬ。」
「越前も若い頃は曲舞舞として名を成したことは皆も知っておいでじゃろう。その越前がまだ大人になってすぐ、まだ一座の若い者として百萬太夫に連れられて鎌倉へ行った折、秋の祭の夜にある武家の若衆が紛れ込んでな、これも元服を終えたばかりの者で、まあ初めての女であったかも知れぬが、これが越前と契って側室に迎えた。やがて子が生まれたのじゃが、これが双子でな。武家は双子を嫌いますでな。越前は出産に立ち合った者らに固く口止めして、一人を下女に託してこのジイのもとへ届けた。五歳までは無事育ちましたが、武家に残した方が流行り病で亡くなり、この時も越前はそれを隠して結崎の子を鎌倉へ呼び寄せた。何事もなかったようにその子を武家の子に仕立てたのじゃが、やはりどこからか話は漏れて、その子は成人してもとうとう子と認められなかった。とまあ、そんな話でございますよ。」
「そのようなお話、私とて初めて聞きまする。」と乙鶴が言えば、
「それでそのお武家はいずこの方でございますか。」と十二郎が尋ねる。
「しかしそれではその子は今、結崎にいるのでございますか。これといって思い当る人もおりませんが。」
「これがなかなか見所のある子でな。武家として育てられるにつれてかわいがる者も出て、当のお武家の弟君がえらくこの子を気に入ってな。その養子に迎えられて今や名をなして九州におりますよ。」
「やあ。それではそのお武家とは将軍家、越前様のお相手は足利尊氏様でございますか。」「九州にいるお子というのは足利直冬{ただふゆ}様でござりまするな。」「これは驚きましたなあ。」
  出屋敷のジイはそこでまた清次を確と見据えて「またこんな話もございます」と話し始めた。
「越前は尊氏様がどうしても子として認めて下さらぬとなって、足利の家を出て曲舞舞となりましてな。フフ。乙鶴とそっくりよなあ。」
「あら、ほんに。」
「曲舞舞となってすぐの頃、さるお武家に呼ばれました。」
「また、さるお武家。何やら判じものですな。」と十二郎。
「五日の祭礼の間にその武家の妹御に良くされたのだが、独り身のはずの妹御の腹がどうも膨らんでいる。越前がそれと知って妹御に話すと、どうか自分を連れ出して欲しいという。兄には許されるはずもない公家崩れの楽人と恋仲になってのことで、これまでは何とか気付かれずに来たが、そろそろそれも難しい。越前の一座に紛れて家を出てその楽人の元へ行こうと思うので、どうか力を貸して欲しいと頼まれた。首尾よく望みを叶えたが、当の楽人と行き違い、彼は兄に斬られ、それを知った妹御は力を落として食べるものも食べられず、何とか赤子を産みはしたが、弱った身体は耐えられずにそのまま亡くなってしまった。越前はその子を結崎へ連れて帰り、当時の長老の元に預けて、自分はまた諸国へ巡って行った。」
  出屋敷のジイはそこで少し言葉を切り、清次を見つめた。
「ワシはずっと越前の子だと思っておったのじゃ。まあそれはそれで構わぬのじゃが、それにしてはいっこうに結崎に戻って来ぬ越前よなあと、少し呆れておった。この話を聞いたのは最近のことよ。楽人が母に贈った印の観世音菩薩が今の清次の守り本尊よ。」
  乙鶴と十二郎が息を呑んで清次を見つめた。清次は意外な話に虚をつかれ呆然としている。十二郎が緊張を柔らげるように少しおどけて口にした。
「さてそのさるお武家とは、いずこの人にてましますやらん。」
「さればこそ。今は昔。後醍醐の帝隠岐へ流されし折に、河内大和の国境{くにざかい}千早の城に籠りて、手勢数百にて万余の鎌倉の勢を三月半に渡って退け続け、三徳兼備また多聞天の化生と言われし楠木正成公これなり。」

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