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政治権力の上位にある者と芸能者は、あるいは貴賎を大きく隔てられているように見えます。
ところが、このように性、男と女を媒介にすると、いとも簡単につながってしまう。
この観点がとても新しくおもしろいところです。
もちろん今までの作品にも垣間見えていましたが、今回は世阿弥はただ事でない血筋になってきました。
正面の歴史は、権力の遷移を追っていくわけですが、その裏面を見る面白さがあります。
編み物の裏表のように歴史が編まれていくということが見えるわけです。
地下の根っこのほうから歴史を眺めているような快感があります。
観阿弥、世阿弥からの能の完成が、貴種流離譚としても読めるわけです。
この件がさらに物語の構造に絡んでいくと、さらに思わぬダイナミズムが生まれてくることがありそうです。
こんな大事な話が折に触れて、という感じでポロリと出てきてしまうところも味があります。
しかし、少し簡単すぎるかなと思うところがあります。
こういう話は「篝火から少し離れて腰を下した」よりも、焚き火を囲んでほしいです。
酒を飲む者がいてもいいし、何かちょっと炙って食べたりしてもいい。
飲食はなくてもいいのですが、「夜中に物語する楽しみ」というようなものがあったほうがいいように思います。
歌で楽しみ、踊りで楽しみ、語りでも楽しむ。
火を焚いていると、そこにまだ眠りたくない者が集まってきて、見聞した面白い話を語り合う。
そういう習慣というか、楽しみを知っている感じはよろしいと思います。
その中でジイは年齢が古いだけに、話が達者であらゆることを知っている。
話は大きくて意外性があるけれども、どこまで本当なのか、誰にもわからない。
その中でこれらの話がでてきたほうがよいように思います。
この夜咄には、虚構の部分を膨らませて、いろいろ発展性があるなと感じました。
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村松さん。講評有難うございます。「伝説」というテーマにいろいろな状況を考えていたのですが、いざ書いてみると「観阿弥、楠木正成の身内説」の話になりました。いつの頃からか観世家も楠木正成の血筋を言っていて、それを裏付ける文書も出てきたりしたのですが、その文書が偽書だと証明されて、今では学会では否定されています。ただし楠木正成自体それ程身分の高い人ではありませんから、貴種流離譚と言って良いかどうかは疑問です。
ご指摘のように、そういう可能性もあるよ、くらいの夜咄しにした方が良いかも知れません。
私はむしろ越前の局を曲舞の女に仕立てた吉川英治の「私本太平記」を受けて、ここに越前という曲舞を登場させました。ここにはやがて「海士」という能につながる伏線があります。足利直冬はよほどの中世通でなければ知らないと思いますが、なかなか魅力的な人物かと思います。
薪を離れての夜語りになったのは、宝を運ぶ道中でのことで、番をする若い衆とは離れた方が良いかと思ったのですが、ご指摘のように薪を囲んで寝ずの番の者たちも交えての夜語りの方が面白いですね。「雨夜の品定め」宜しく、焚き火を囲んでの夜咄しの一章があっても良さそうです。
そういう設定であれば、縄文に遡る伝説をいくつか鏤めることも出来そうです。
でんでらさん同様、止めれば教室がなくなってしまうと思い、続けて来ましたが、続けて来たかいがありました。ありがとうございました。まだ暫くはお世話になります。どうぞ宜しくお願いします。
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