創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2020-02-25 21:53:31

でんでら
メンバー
登録日: 2018-01-11
投稿: 334

ライフ・イズ・ビューティフル!【第一話 ミッション】

僕のいる寄宿舎は盲学校の敷地の中に建っている。校舎の北側にあって、コの字型をした平屋建てだ。玄関を入って右側が男子棟、左側が女子棟になっている。冬休み明けの中庭には雪がうっすら積もっていた。
僕は部屋で一人、段ボールから荷物を出すと適当に備えつけのクローゼットに放りこんだ。お母さんは部屋に荷物を置くとすぐに帰ってしまった。仕事が八時半から始まるからだ。
段ボールの底から一冊の固い表紙の本が出てきた。写真集だ。
急いで通学カバンに手をつっこみ、登山用のヘッドライトを引きずり出した。こいつは今日みたいな雪が降る暗い朝にはかかせない。部屋の蛍光灯よりも明るく周りを照らしてくれるんだ。

僕は「網膜色素変性症」という眼病を患っている。
小さいころは、夜目が利かないだけだった。だけど大きくなるにつれて、雨の日の昇降口や日かげの校舎でも目が利かなくなり、誰かに手引きをしてもらって歩くことが増えてきた。
僕はヘッドライトの光を頼りに、写真集の表紙を両手で持った。思い切り腕を伸ばして遠くへかざす。お母さんも時々こんなしぐさをする。お母さんは老眼。僕は視野が狭いからこうして全体を把握する。とはいえ、僕の視力は眼鏡をかければ両眼で0・3もある。盲学校では良く見えるほうだ。

写真集の表紙には穴だらけの扉の向こうから僕を見つめている女の人が写っていた。
「santaFe」という黒い英文も見つけた。
「お父さん!」
僕は思わず叫んだ。
お父さん、譲って欲しかった写真集はこれじゃない!ビビアン・スーのほうだよ!
お父さんは「ビビアンは刺激が強い」と言って一度しか見せてくれなかった。
大丈夫。あれから一年たって今の僕は一四歳。立派な大人だぜ。「santaFe」の女の子もいい。だが、なんとなく神聖な感じがして、そうだな、言うなればあれは美術の教科書だ。(だからと言って全くこーふんしないというわけではない)
なんていうのかなー、ちょっと違うんだよ。こっちは僕の心の琴線とやらにふれないんだよ。ベッドのマットレスの下に入れておきたいと思うのは、ビビアンのほうなんだよ!お父さーん!
僕はさっそくお父さんにメールで恨み言送った。くそっ、自分の持っているスマホすら恨めしい。だってこいつには保護者規制ががっつりかかっていて、おっぱい……いや、アダルト検索ができない。Ipadも機能制限がかかっていて教科書アプリしか使えない。
僕はスマホのカバーケースのふたを閉じ、畳の上に放り投げた。

部屋の引き戸が重い音を立てて開いた。
同室のダイチくんだった。
「お、おはよう!」
僕は落ち込んでいるのを悟られないように、努めて明るく言った。
ダイチくんは白杖を入り口に立てると、穏やかに「おはよう」と返してくれた。
ダイチくんは小学校四年生だ。今年から同室になった。
僕が公立小学校から盲学校へ転校したのも四年生の時だった。ダイチくんは盲学校から車で一時間半のところある山間の集落に住んでいる。僕は歩いて四〇分の松本駅の近くに住んでいる。けれども、夜間の生活訓練のために中学部に入学したと同時に寄宿舎へ入舎した。
ダイチくんは壁に置かれた勉強机の上にランドセルと置くと、一人で運動着を丁寧にクローゼットの下に備え付けてある引き出しの中にしまった。全盲だけど慣れた場所なら白杖はいらない。
僕はダイチくんの両手をつかむと窓際に連れて行った。
「ダイチくん。おっぱいの形の話、覚えている?」
耳打ちをした瞬間ダイチくんがにやっと笑った。
「うん。女の人のおっぱいは垂れていない、ってやつでしょう」
ダイチくんも小声で答えた。
僕は二・三回うなづいた。ダイチくんはおかあさんのおっぱいしか知らない。
「夜になったら、理想のおっぱいを教えてあげるから」
ダイチくんと僕は声を押し殺して笑った。
 
夕飯を食べ終えて、僕たちは部屋に戻った。
僕は写真集を開くと、おっぱいのラインにそって点字用の目打ちでひとつひとつ穴をあけた。めくって裏から触れば点字のようにラインが浮き出る。
「……保健の教科書とおなじじゃん」
ダイチくんがラインを何度もなぞりながら文句を言った。
僕ははっとして目打ちの手を止めた。
これはビビアンのおっぱいでも同じだ。
盲人には3Dの世界が必要なんだ。僕は、段ボールでおっぱいを作ることを考えた。僕の特技は、見たものをそのまま段ボールで再現することだ。理療科の部屋に置いてある骸骨や映画で見た拳銃をそっくりそのまま再現するのが得意だ。いやしかし、作っている過程で誰かに発見されたらどうしよう。寄宿舎の先生は一日一回部屋の見回りにくる。入舎してすぐにクローゼットに隠して置いたモデルガンSAA.45キャバルリーを発見されてしまった。見つけた先生は舎生から「ハンター岩井」と恐れられている男だ。
もし制作過程のおっぱいが見つかったら、お母さんにも中学部の女子どもにも変態指定をされてしまう。
僕はまたはっとして写真集から顔をあげた。
いやいやまて、段ボールであそこまで曲線を再現できるか?僕には自信がない。
「理想のおっぱいをさわりたい」
ダイチくんがむすっとした顔でつぶやいた。
その夜、僕は悶々と布団の中で作戦を考えた。
さわる、さわる、さわる……
僕は真っ暗闇の空間に向かって両手を突き出し、それぞれの手のひらをお椀のように丸めて形を作って、押してみた。
だれかさわらせてくれないかな。
「あ!」
僕は宙で手を叩いた。

一夜明けて、夕方の四時半になった。
僕とダイチくんは、手をつなぎ鉄製の引き戸の前に立っていた。そこは体育館から校舎に入るための生徒用出入り口だった。
三学期は部活活動がお休みになる。大人の生徒も子どもの生徒もみんなめいめいの場所へ帰っていた。
放課後の校舎は無断で入ってはいけないことになっている。入るとしたら、職員室に行って先生の許可を取る決まりになっている。
今日は職員会議があるということで、先生たちは全員職員室に集まっていた。
僕はゆっくりと鉄扉を横に引いた。貨物列車が停車するときに響くような音がする。音が無人の廊下に響く。僕はゆっくりゆっくり押して、人が一人とれるほどのすき間を作った。まず僕が入り、ダイチくんを手引きした。
ダイチくんの肩が扉に当たる音が響いた。
「おいっ!」
僕は小さく叫ぶと慌ててあたりを見渡した。南に向かって伸びる一本の長い廊下に人の姿は見当たらなかった。一番奥の南校舎から先生たちの話し声が聞こえてくる。僕はダイチくんを壁に向かって立たせると、静かに時間をかけて扉を閉めた。
盲学校は空から見ると三本爪の備中鍬を横に寝かせたような形をしている。校舎はすべて三階建てだ。
僕たちのいる鉄扉から見て、一番奥の南校舎には職員室、校長室、事務室と来賓用玄関がある。二階と三階は理療科といって鍼の資格を取るために、18歳以上の大人の生徒が通ってくる。
まん中の中央校舎は一階が小学部、二階に理科室や図工室、三階に音楽室とパソコン室、視聴覚室がある。
そして、鉄扉に一番近い北校舎には、一階が中学部と保健室、二階が高等部と家庭科室、三階に図書室と会議室がある。
生徒用昇降口は、後から増築された一階建ての東校舎の一番奥にあった。東校舎の廊下は北校舎の廊下につながっている。東校舎には幼稚部が二部屋と、教育相談室が一部屋、設置されていた。
「――アズサくんの体のサイズに合わせて戸を開けたでしょ」
ダイチくんは自分の肩をなでながら僕に耳打ちしてきた。僕は一六〇センチ三八キロしかない。クラスの女子どもからは「マッチ棒」といつも言われている。
「ごめん、ごめん」
僕は謝りながら、二人の靴を運動着入れのリュックにしまった。
「冷てえー」
そう言って、ダイチくんが少しつま先立ちになった。靴下一枚の足に、一月の冷えた廊下は確かにつらい。
でも靴下のほうが静かでいい。先生の中には理療科に勤める盲人の先生たちもいる。とにかく盲人は耳が良いから、消せる音は消しておいたほうがいい。
僕はダイチくんの手を引っぱり鉄扉から南校舎に向けて、小走りに廊下を走り抜けた。南校舎一階、職員室すぐ隣の階段下に隠れる。そこには清掃道具や、使われなくなった黒板が置かれていた。
ちょうど真上から階段を下りる音が聞こえてきた。そのまま、僕らの脇を通りすぎていく。階段下は暗いので、僕の目は視力を失う。そういうときの頼りは耳だ。
かかとをするように歩いているから、理療科の森先生だ。森先生は、ダイチくんと同じ全盲だけど、まるで見えているかのような足取りで学校内を歩いて行く。先生によっては壁に手の甲を当てながら歩く人もいるけれども、森先生は違う。廊下の右側を正確に歩いて行く。
僕は森先生を見るたびに、こうもりのように超音波を発しながら歩いているのではと思っている。だから僕は森先生をこうもり先生と命名した。
どーん、と僕らのすぐそばで大きな音がした。
職員室の隣に設置された防火扉に大人が思い切りぶつかった音だった。僕とダイチくんは思わず、おお、と声を出してしまった。
「どうしました!」
階段そばの職員室のドアが開いて、女先生の声がした。あの声は保健室の先生の声だ。
「森先生、大丈夫ですか」
保健室の先生が慌てていた。
「うん、大丈夫」
鼻詰まりのような舌足らずの声がした。
「風邪をひいちゃってね。こうなると方向感覚がだめになるね。鼻がつまると耳も良く聞こえなくなるし」
こうもり先生はそういうと鼻をすすった。
「おでこにこぶができてますよ。とりあえず冷やしましょう」
保健室の先生がこうもり先生を中に引きいれた。
よし、こうもりのセンサーは不調らしい。これはますますいいぞ、と僕は思った。
少し離れたところから戸を引く音が聞こえてきた。距離にして5・6メートルと言ったところだろう。ということは校長室だ。事務室は校長室のさらに奥になるので、ここから7・8メートル先になる。
僕はダイチくんが腕にはめている腕時計を触った。ダイチくんの腕時計は風防ガラスがついていない。秒針がむき出しになっていて、直接触れることができる。さわってみると、夕方の四時四五分になっていた。
職員室のざわめきがすーっと引いた。
「すみません、ちょっと外部からの電話がありまして、遅くなりました。では職員会議をはじめましょう」
校長先生の声がした。
今だ!僕はダイチくんの手を引っぱった。
ダイチくんが動かない。
「何してんだよっ!」
僕はあせって小声で怒った。
「うんこずわりのせいで足がしびれた」
「まじか。なんで体育座りしないんだよ」
「お尻が冷たくなるじゃんかよ!」
なんでそこで逆切れ、と僕は思った。
「がんばって立って!」
僕はダイチくんの手を再び引っぱった。
ダイチくんがよろめきながら立ち上がる。僕は、階段下から這い出し、南校舎の一番奥にある来賓用玄関を目指して一歩を踏みだした。
オレンジ色の西日が、廊下のつきあたりの窓から射しんでいた。冬の夕陽は熟れた柿の実のように明るいオレンジ色をしている。廊下全体が、あざやかな柿色に染まっているのを目にしたとたん、僕の目の前は真っ白になった。
――まじかっ!
僕の頭の中も真っ白になった。
――こんな時に網膜の調節ができなくなるなんて!
僕はときどき、急に明るいところに出ると数分間何も見えなくなることがある。しばらく症状が出ていなかったのに、どーよこの間の悪さ。
二分ほどたち、視力が戻ってきた。気を取り直して一歩を踏み出した。ガラッと職員室の扉が開いた。
僕は慌てて階段下に戻った。戻った時にダイチくんの体が黒板の足に当たって、黒板がすこしだけ揺れた。僕は慌てて黒板をつかみ揺れを抑えた。
職員室から出てきた先生は向かい側のトイレに入った。
なかなか出てこない。長い。長いぞ。五分経過。
「なんで出てこねーんだよ」
僕はそっと壁から顔を出してトイレのほうを伺った。まるで塹壕から顔を出す兵士になった気分だ。
「出てきたぞ」
僕はダイチくんに戦況を報告するかのように言った。出てきたのは、保健の先生だった。お父さんが「痩せたらビビアンに似ているはず」と言っていた色白の大柄な先生だ。会議が始まる前に行っておけよ、と思いつつ、きっとこうもり先生の手当てをしていて行きそびれたんだろうな、と僕は思い直した。
僕らはまた、階段下から這い出した。
職員室の扉が開いて声がした。保健室の先生の再来だ。
なぬ!職員室へ帰ったんじゃないのか!なんと落ちつきのない!
僕らはまた階段下へ後戻りした。先生はトイレからハンカチを持ってくると職員室へ戻った。
誰かが何かを報告する声が聞こえ、時々紙の資料をめくる音が聞こえる。僕は前進を開始した。
職員室、校長室、事務室の前を順次無事に通過。
そして来賓用玄関の前にたどり着いた。僕らは玄関を背にして立った。
目の前に女の子の石像が建っていた。
事務室の中は静かだった。電話番の先生は事務仕事に追われていた。
よしよし、いいぞ。
僕は改めて石像の女の子を眺めた。石像がいつ寄贈されたのかはわからない。きっと足元のプレートに書いてあるだろうけど、影になっていて見えない。だが、僕が転校してきたときには確かにあった。
石像はかみの毛を後ろにひとつに束ねていて、シャツにミニスカートをはき、足を組んで座っていた。シャツは水に濡れたようにしわがたくさん体に張りついていて、おっぱいの形がはっきりと見てとれた。
顔はまあ、うーん、僕好みではない。でもそんなことなど今は関係ない。
さあ、この子のおっぱいはどんな揉み心地……おっと、今はダイチくんの願いを叶えてやらねばならぬ。急げ、時間外の訪問者が昇降口の自動ドアをいつあけるともかぎらん。ドアが開くピンポーンと大きなチャイムが鳴る仕組みになっている。鳴ってからでは遅いのだ。
僕はダイチくんの手を取ると、シャツの上からおっぱいをわしづかみにさせた。
「うぼっ」
ダイチくんの口から、今までに聞いたことのない声がもれた。
「どう、垂れていないでしょう」
僕は得意になって言った。
「お椀の形をしている!」
僕の相棒が声を弾ませている。
「そしてしわしわもしているっ」
「ダイチくん、それはシャツのしわだよ」
ダイチくんが急にだまりこんだ。
「どうしたの」
僕はダイチくんの顔をのぞき込んだ。
「――乳首がない」
ダイチくんの声は、僕が今までに聞いた中で一番不機嫌そうだった。
「僕は乳首を触りたい」
ダイチくんは運動会で宣誓するようにきっぱりはっきり言った。
「そ、そこは心の眼でみるんだ、ダイチくん!」
僕はダイチくんの肩をぽんと叩いた。
「そんなものは、ない」
ダイチくんは僕の手を払いのけた。
「――おっぱいの先にアポロチョコをくっつけておけばいいんじゃないかな」
僕の背中から男の人の声がした。
振り向くと事務室の先生が戸口に寄りかかってにやにや笑っていた。
「うわああああああああ!」
僕とダイチくんは思わず叫んだ。

次の日、僕はしっかり担任の先生に怒られ、女子どもからは変態仮面とあだ名をつけられるはめになった。

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