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これは、長編作品全体の骨格を強く太くする部分になりますね。
翁舞がどういう芸か。
それが生成され伝承されていく様子を活写しています。
そして、翁舞が能の母胎であるということがはっきりと描かれています。
そして、それを生む結崎という土地の風土、経済についてもおおづかみながら明確なイメージを持つことができます。
空間軸でも、時間軸でも非常に明瞭なイメージができあがりました。
私にはどれくらいが定説、相場で、どこからがshowさんの想像・創造によるものかはわかりませんが、かなり踏み込んでいると思います。
吉川英治が小説にしてから、現在の宮本武蔵像が定着したように、「能の原像」がこの作品で定着する可能性があります。
そうであれば、愉快ですし、すごい場面に立ち会っていることになります。
この他にも、ときに権力に庇護され、また対立する姿も描かれたり、他の諸芸をも吸収しながら、能を確立する世阿弥たちの活躍、天才ぶりも描かれるでしょう。
そして、もちろん名曲羽衣の誕生もあります。
細部のイメージを精緻に作り込みながら、たいへん「スケールの大きな小説」、「大きな仕事をする小説」になってきていると思います。
この調子で進めてください。
瑕瑾を申し上げれば、
>そして秋には郷に溢れていた子供たちの半数近くが病気で冬を越せなかったり、
これは毎年半分近く病気で死ぬ、という意味にとれてしまいます。
>突然行方知れずになったり
も入れて半数近くなのかと思いますが、そうとったとしても半分入れ替わるのは変動がありすぎかな、という感じがします。2.3割が毎年流動している、という感じではないでしょうか。
もう一つは、今回のモズのように魅力的な脇役がぽつぽつと登場しています。
これらの人物の行方が気になります。
ある程度感情移入してしまうものですから、あまりに一回こっきりで消えてしまうと、読者が納得いくかなと思うのです。
これは、通読してみないわからないし、すでにそれぞれを活かす構想があるのかもしれません。
脇筋が思わぬほど膨れ上がってしまうこともあります。
登場させたものはなるべく活かしながら物語を制御する形を今から意識された方がよいでしょう。
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村松さん。講評ありがとうございます。
概ね苦労したかいがありました。嬉しいです。
書きながら作っている記述も多く、やはり子供の半分は当時としてもやり過ぎでしたか・・・。そうそう何故半分にしたかと言えば、世阿弥の子供世代に十郎がいるのですが、一郎から十郎まで揃っていたとして、演能が確認されているのは、三郎、五郎、七郎、十郎の四人なので、それくらいかと思ったのですが、冷静に考えれば一年で半分入れ替わるはずもありません。やはり二割くらいにした方が良いですね。
魅力的な脇役は、このあともう二、三人というところでしょうか?既に長編以前に登場している何人かを、ここに回収する予定ですし、ツルジとモズを出したことで、そろそろ容量一杯かなと思っています。現在、脇筋が膨れ過ぎそうで、清次と鬼丸を早く結崎に戻そうと苦戦しています。
それでは、note の記事も半分を二割に変えがてら、その廻りをいじることにします。
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安定した書き進め方ですが、長編ならではの構成の苦心がこれからも出てくると思います。
しかし、それも織り込み済みでしょうから、うまく乗り越えて行きましょう。
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