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面白かったです!
鬼夜叉のお父さんは導誉だったのですねえ。
乙鶴、すごい(笑)
先月からとても文章が読みやすくなったように思います。
(あくまでも私個人の感覚ですが)
導誉の頭の描写も、すっとイメージできてよかったです。
人物だけでなくすべての場面で、具体的にイメージできるような描写を目指したいな、と個人的な目標を立てました。
「仏」の下りですが、アートをやっている人には
共感を覚えるくだりではないでしょうか。
今、禅体験を毎月一回行っているのですが、
そこでもお坊さんが「仏様はすべての人の心にいるんです」って言っていたのを思い出しました。
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いやいや。鬼夜叉の父親は乙鶴のみぞ知る、いや、乙鶴さえ知り得ないのだと思います。
でも、乙鶴にすればどちらと決めて狭くする必要はありません。そのあたりの倫理観というか貞操観というか、は現代の基準に縛られたくないのです。中世、しかも芸能民です。閨房術も芸能の一部だったかも知れません。
芸というものを真ん中に置いてそれを究めよう、我が子にそれを究めさせようと思えば、観阿弥にしろ、導誉にしろ、どちらか一人ではなくて、両方の才能や技術や美意識を受け継いで行きたいのです。
私としては仏のくだりは無理矢理なのですが、それなりに言えているのではないかと思います。
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えっ!仏のくだり、無理矢理なんですか!?
私にはちっともそんな風に思えませんでした。
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無理矢理・・
世阿弥の演技論の原点を書こうというのですから、確かなものがあるわけではない。おまけに課題の「宗教」が絡みそうにない。新たな素材で書き直す時間もない。ということで、演技論の核に「仏」という言葉を無理矢理放り込んだのです。しかし、よくよく考えてみると、「仏」で説明できそう・・と、文字数を数えながら最後をまとめたのでした。
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それと、今気になって見直したら、導誉の死んだ日は8月25日でした。このまま10日間も居させる訳にはいかないですね。課題としてはこのままですが、本編ではどうすれば良いのやら・・。
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>>世阿弥の演技論の原点を書こうというのですから、確かなものがあるわけではない。
んー、世阿弥の論文を書くわけではないので、
そこはなかしょさんの持論を混ぜこんでも良いような気がしますよ(o^-^o)
今回はテーマに合わせるために仏を入れたのかもしれませんが、
本編では、なかしょさんの持論を書いてみても私はいいと思います。
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これぞ小説と感心しました。
登場人物のキャラクター設定、過不足のない会話、テーマの宗教の着実な取り入れ方。
一切無駄がなく上質の能の舞をみるようです。
ご一緒に創作講座を受講させてもらえて幸です。
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sandalさん。有難うございます。そう一方的に褒められるのも気恥ずかしのですが・・。
でんでらさんご指摘の読みやすさについては、前回あたりから一文があまり長くならないようにしています。辻邦生とか福永武彦とか、太宰治もそうかなぁ、長い文を上手に紡ぐのですよね。何となくそういうのに憧れているのです。
「仏」を持ち出したのは成功でした。そういう意味でもまた課題に助けられた形です。少し言葉足らずに放り出したのも、如何にも弱っている導誉らしくなりました。
長編としてまとめたいのですが、今は課題に任せて膨らませています。まだ暫くは文章教室にお世話になりたいと思っています。
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