創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-10-25 21:23:11

でんでら
メンバー
登録日: 2018-01-11
投稿: 334

赤い靴

二〇一×年七月の午前三時、私の三つ年下の妹、あっちゃんが殺された。享年四十三歳だった。犯人はあっちゃんの担当職員の男で、他にも十九人の施設利用者を殺した。
あっちゃんは最重度のダウン症だった。
身辺自立はおろか話すこともできず、歩くときは職員が背後から羽交い絞めにする格好で支えねばならなかった。
だから養護学校を卒業した後、松本市の牛伏山のふもとに建てられた重度心身障害者の施設に入所した。市内に一つしかないその三階建ての施設には、あっちゃんぐらいの年頃の子から八十九歳になるおじいさんまで、百五十人の利用者が暮らしていた。私の通っていた中学校とは二百メートルくらしか離れていなかったが、あっちゃんが自宅に帰ってくるのはお盆と正月三が日くらいだった。
あっちゃんには行動障害があった。突然激しく自分の頭を手で叩いたり、自分の排泄物を体に塗ったりした。母は厚手の生地でミトンを作り手に被せ、お風呂場で洗った。父はそのたび「風呂場が臭い」と怒った。
やがて母も高齢になった。五年前に足を悪くして、それを理由に盆と正月の一時帰宅をとりやめた。父はあっちゃんが死ぬまで、一切母の手伝いをしなかった。

「――ちゃこちゃん、お願い」
日曜日の昼下がりだった。
母が電話をかけてきた。そのせっぱつまった声は、あっちゃんが殺人事件に巻き込まれたらしいと報告してきた時と同じだった。
「――どんなお願いなの」
私は恐る恐る尋ねた。
母は小さい声でお父さんがね、と言った。
「……あっちゃんの骨を家に持ち込むなって言うの」
言葉が出てこなかった。
沈黙の中で、壁掛け時計の秒針のリズムと外の雨どいから垂れる水滴のリズムが重なる。二音の正確なピッチが、一人暮らしのワンルームに響きわたる。
「……そう。それはひどいわね」
私は静かな声で応えた。言葉を発してから自分でもどこか他人事のように答えている、思った。
母は私の冷たさを敏感に感じ取ったのか、しばらく黙っていた。
「お葬式も上げてもらえなかったのにね」
私は母のご機嫌を伺うように言った。
「あれは……マスコミの対応で……仕方がなかったのよ。ご近所さんに迷惑がかかっちゃうでしょう」
母は父をかばった。
父は警察で母と一緒にあっちゃんの遺体を確認すると、すぐに火葬場へ送る手はずを整えてしまった。母がせめて一晩だけでも家に、と言っても斧で頭をかち割られた姿を見て何が楽しい、と一蹴した。
そんなわけで私は神奈川から火葬場へ直行したのだった。遺骨の受け取りを拒否した父と嘆く母の姿を見かねた施設の保護者会長さんが、一時的にあっちゃんの骨を預かっていてくれた。
「それでどうするの」
そう言って、私は窓の外に目をやった。庭に植えてあるフジバカマの枯れた葉っぱが秋の冷たい雨に打たれ、上下に揺れていた。
「やっぱり、ちゃこちゃんが引き取ってもらえないかしら」
私の頭の中は真っ白になった。あっちゃんが死んだ、と聞かされた時と同じように。
「ちゃこ……」
母がすがるような声を出した。
その幼さがまとわりつくような声に私は思わず叫んだ。
「――嫌よ、気持ち悪い!」
私は電話を切った。

あっちゃんはずっと母を独り占めしていた。
私がディズニーランドへ行きたいとせがんでも、あっちゃんがいけないからダメ。
近所のスーパーであっちゃんが大声をあげれば、次の日、クラスメイトにからかわれた。母に訴えても、母は泣いてごめんなさいとあやまるばかりで、学校に抗議してくれることはなかった。
中学生になって悪い点数を取れば、あっちゃんがああだからとクラスメイトに悪口を言われた。
あっちゃんが一三歳になって寄宿舎へ入所すると、母はすぐにフルタイムで働き始めた。
――あっちゃんがいようといまいと、母は私に関心がなかったのだ。
私は冷蔵庫を乱暴に開けた。長野の名酒、大信州の二〇〇mlの小瓶を取った。三分の一をコップに注いだ。
頭では母の大変さはよくわかっていた。
あっちゃんを介護していて何度もぎっくり腰になった。あっちゃんは肥満体質で、一四七センチで六五キロあった。
父からは「お前の遺伝子が悪いせいだ」と責められてきた。家の経済状況も決して裕福なほうではなかった。
私は二四歳でその世界から逃げ出させたけれど、母はずっと囚われたままだった。
私はコップの酒を一気に飲み干した。


一週間後、母から宅急便が届いた。
開けるとビニールにくるまれた赤いスニーカーと手紙が入っていた。
薄いパープルの便せんにはペン字のお手本のようなきれいな字で「ちゃこへ」と書かれていた。
『ちゃこへ。
先日は変な電話をしてしまってごめんなさい。お母さんのせいであなたにはたくさんの迷惑をかけました。おかあさんの遺伝子がもう少ししっかりしていればよかったのにね。
さて、あっちゃんの骨ですが、施設の保護者会の会長さんに相談しました。会長さんのお知り合いのお坊さんが遺骨を引き取って、永代供養をしてくれると約束してくれました。だから安心してください。でも一つだけ最後のお願いを聞いてください。今後は一切あなたにお願いはしません。あっちゃんが施設で履いていた靴を預かっておいてください。そして、私が死んだら一緒にお棺に入れてください。お母さんがお父さんよりも先に死んだら、お父さんに見つからないように入れてください。お願いします。ずっと独り身のちゃこもゆくゆくはうちのお墓に入るでしょう。そうしたら、天国では三人一緒になれます。またオセロをやりましょう』
封筒には便せんの外に新札の三万円が同封されていた。
「最後まであっちゃんのことばっかり」
結局、母もあっちゃんと同じで何もわかっていない、と思った。
ビニールの中にはニューバランスの赤いスニーカーが入っていた。
あっちゃんはこの靴を母が買ってくれたとわかっていたのだろうか。私の名前すらいえなかった妹。知的最重度の妹。何もわからない人だからと殺された妹――。
私はお金の入った封筒を食卓の上に投げ捨てた。
「何がオセロよ」
あっちゃんが帰ってくるといつも 三人でオセロゲームをした。私がゲームに負けると、母とペアを組んでいたあっちゃんは手を叩いて声をあげた。
そう、負けた時だけ。
私は思わず、ああ、と声をあげた。
それから急いで玄関へ向かった。
観音開きの靴箱を開くと、最上段にしまってあった牛革の袋を引っぱりだした。中にはプラダのヒールが入っていた。ヒールを取り出し、空の袋にあっちゃんのスニーカーを入れた。それからプラダの箱に丁寧にしまうと元の位置へ仕舞った。私は静かに扉を閉めた。
私は泣いた。気がつくと両手を合わせていた。火葬場では一滴も涙が出てこなかったのに、なんで今更と思った。

リビングに戻って久しぶりにテレビをつけた。この三カ月、事件がくり返し流されたためほとんど観ていなかった。
「明日は台風一過で晴れます」
アナウンサーの少し高揚した声が心地よかった。

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