創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-11-26 01:37:38

show3418
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登録日: 2018-02-09
投稿: 301

年来稽古

「そんなところで色気を出してはいけません。」
  乙鶴の厳しい声が飛ぶ。色気といっても男女の色事のことではない。今、乙鶴の前に並んでいるのは、男(お)の子女(め)の子合わせて十人ほどの子供たち、上は十歳から下は五歳までの結崎の郷の子供たちだ。屋外の稽古場で曲舞々を子供たちに教えている。桜の花が漸く咲き始めた暖かな日、鬼丸が結崎に来て一年、乙鶴が来て半年経った。
  大和川の南側、寺川という支流に挟まれた結崎は、比較的小高い土地に石垣を囲って小さな集落が点在する非人の村である。非人の村とはいえ、芸能を司って奈良の興福寺や多武峰の妙楽寺の庇護を受けているこの郷は、田畑に縛られて年貢を搾り取られる近在の農村よりも、かえって裕福な暮らしをしている。今、乙鶴の前に並ぶ子供たちも、色に染めた麻の着物を固く織った帯で締め、こざっぱりしたなりで稽古用の扇を手にしている。どれもこの結崎の郷の中で作られたものだ。
「この稽古場にはありませんが、お宮さまのお祭りのお舞台には四本の柱が立てられているでしょう。あれは神様の依代となる柱で特別な木を山から切り出して立ててあります。あの中で私たちは神様にお守りいただくのです。今色気と言ったのは、私たちの欲のことです。私たちは皆、やりたいことややりたくないことで頭がいっぱいですね。朝起きるにも眠くてもっと眠っていたいと思うでしょ。起きればカカ様に甘えていたいし、トトさまに遊んで欲しいと思うでしょ。子供同士で集まれば、自分の方が強いとか、速く走れるとか、芸のお稽古をしていても声が出るとか身体が良く動くとか、他の人と比べて得意になったりいじけたりするでしょ。でもそれは神様たちにはどうでも良いことなのです。少し上手くできるからと得意になったりするのが色気です。神様はそういうものがあまりお好きではありません。自分がこうやりたいではなくて、ただただ教えてくれるままに真似をするのですよ。わかりましたか。」
「ははー」「畏ってござる」「承り候」「御意」
口々に色々な返事が返って来て、乙鶴は思わず声を出して笑った。
  乙鶴と子供たちがいる屋外の稽古場は、二十戸程の小さな集落の中にある。中央の稽古場を取り囲んでそれぞれの小さな家が円く建ち、最北端には神社の神楽殿に似た作りの舞台が南向きにある。
  座長の清次は、舞台の床板を男衆と共に磨きながら乙鶴の言葉を聞いていた。
「相変わらず良く透る声よ。」と思って聞いていたが、子供たちの返事に笑う乙鶴の笑い声がまた大らかで、誘われるように笑い声を上げた。男衆も笑っている。中にひときわ豪快に野太い声を上げたのは十二郎と呼ばれる宇智郡桧垣又(ひがいまた)の猿楽者である。六尺もあろうかという大男で胸板も厚い。昨年盛んに上演した叡尊上人の演目で観客の耳目を集めた鬼は、この男が高下駄を履いて冠物を被っていたのだ。吉野の峰入りで清次と行き合い、それ以来行動を共にしている。同じ歳の猿楽同士、以前から見知ってはいたが、出会いの場所が場所なだけに、二人は神の引き合せのごとくお互いを認めていた。
「清次殿のアネ様は明るい。おまけに頭も良い。それに情も深い。」
「十二郎殿は頭が良くて情の深い女に見込まれる恐ろしさをご存じござるまい。近江の佐々木の若様が早死になされたのも案外そのせいかもしれませぬ。」
「いやいやそれがしとてそのような女の一人や二人と言わず、三人四人」
「いやいや、一人なればこそ恐ろしうござるのよ。やはり十二郎殿はおわかりでない。」
  二人が笑いながら外に出ると、なお子供たちに舞を教えている乙鶴だったが、
「お二人とも人の悪口はもう少し声を潜めてくださいまし。それに子供たちの
前でございます。」と声を荒げた。
「なんのなんの。悪口などということがあるものか。情け深い上に頭が良いと、誉めていたのではないか。のう、十二郎殿。」
「私のせいで秀綱さまが亡くなったなど悪口でなくて何でございましょう。」
  急に乙鶴が袖を目に当てて泣き伏す態に、清次は卒然「しまった」とおろおろし始めたが、乙鶴は一転子供たちの方に顔を上げた。
「良いですか。色気とはこういう時に使うのです。わかりましたね。」
***
  その夜夕餉を終えて、清次と乙鶴それに鬼丸は三人で外に出て、朧に霞む満月を見ていた。昼の暖かさに桜は一斉に咲いたが、夜はまだ冷える。しかし清次も乙鶴も一心に月を見ている。月と話をしているようだと鬼丸は思った。
  やがて静かに清次が話始めた。
「観世座がこの先大きくなるには、子供たちの稽古の大切さはどんなに丁寧にしてもし過ぎることはあるまい。今日お前が子供たちに話すのを聞いてつくづくそう思ったよ。
  子供たちの中でも五歳くらいの幼い子には、今日のお前の話はまだ早い。自分のやりたいようにやってはいけないとなったら、この歳頃の子供は芸が嫌になってしまうかもしれぬ。やりたいように好き放題やって、それで褒められて芸が好きになる。まづそれが第一であろうよ。
  十歳くらいになれば、今日の話はまさにその通りよ。変に良く見せようなどとすれば芸がひねこびてしまう。木が大木に育つにはとにかく真っ直ぐでなければならないよ。真っ直ぐであればどのような子供であろうと胸を打つ舞台をするものよ。
  座にはまだいないが、その上の事を考えてみよう。十五歳から七歳頃。とにかく難しい歳頃よなぁ。子供の時に評判をとり褒められて来たから、自分は出来ると思うのは当然だ。しかし身体が急に大きくなり、声も変わる。今まで出来たことが出来なくなり、不安定な声と身体は思うに任せず、芸が嫌になってしまう。この時期をどのように乗り切るのか。私にもよくわからぬよ。」
「そのように子供を思う言葉を私は初めて聞きました。あなた様はやはり素晴らしいお方です。これからは私も、子供の様子を見ながら気をつけて教えることにいたします。この先の難しい時期をどう育てるのか、共に学んで参りたいと存じます。」
  まだ六歳の鬼丸も、月を見ながら二人の言葉を聞いていた。

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