創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2019-12-25 22:05:52

でんでら
メンバー
登録日: 2018-01-11
投稿: 334

ほしにねがいを(決定稿)

小学校の校庭の片隅に滑り台があった。お椀を伏せたような形をしていて、てっぺんにいる男の子たちが四人で騒いでいた。
「ハル!まだ行くな!」
背の一番低い男の子が叫んだ。
ハル、と呼ばれた子どもはさして怯える風でもなく、校庭を横切り、南側にある学童センターへ入って行った。
「まだ鬼ごっこが終わってないだろっ、戻れって言ってんだよっ」
小さい子どもはまだ怒っていた。右手に持った白杖をぶんぶん振りまわしている。私の一人息子のタケだった。
「帰るよー!」
私は声をかけた。
タケは、白杖をふりあげたまま少し不満そうな顔をした。
「ねえ、白杖はそうやって使うもんじゃないって盲学校の先生にも言われているでしょ」
「だって、ハルが言うことを聞かねえんだよっ!」
タケは怒りながら下りてきた。私は罵詈雑言を吐くタケを無言で見つめていた。タケはだんだん泣きそうな顔になってきた。それから折り畳み式の白杖を畳んだ。ぱきぱき、と乾いた枝を折るような音がした。
タケは、この春休みが終わると小学校六年生になる。いつまでこの癇癪がつづくのやら、と思うとため息が出てくる。
タケは五歳の時に進行性の目の病気と診断された。次第に視力が低下してきたので、小学校四年生の夏に盲学校の小学部に転校した。
盲学校から五百メートル離れた公立の小学校には学童センターがあった。指導員さんの理解もあって、障害のあるタケも利用することができた。通い始めて一年になるが、盲学校以外の友だちもできて、その子らを子分のように従えて遊んでいる。
リュックを取ってきたタケが、指導員さんにさよなら、と言った。
私だったらこんな親分からはいち抜けなのに、と思いながら、東の駐車場に向かって二人で歩いた。途中、校舎の陰に入るとタケが手引きを求めてきた。タケは網膜の病気なので、暗い所に入ると視力がなくなる。保育園の頃は平気だったのに、と私は思った。視野も狭くなりちょっとした段差や電柱にぶつかることも多くなった。
春の夕暮れは何か、もやっとしてなんとなく体がだるくなる。私は郵便局の仕分け仕事で溜まった疲れを足や肩に感じていた。
車が止めてある松の木の前に来た時だった。
「ハルはさ、アトピーなんだって」
タケが言った。
「それで薬をぬっているんだけど、みんな臭いっていうんだよ」
「ああ。それでハルくんは夏でも長袖を着ているのかな」
「たぶん。おれは臭いとは思わないけど」
「優しいなあ」
私はタケを褒めた。
「おれはきっと鼻が悪いんだよ」
タケが言った。照れているな、と私は思った。
「ねえお母さん、おれの病気って何?」
ああ、またか。と思った。
タケはこの頃、自分の病気がどんなものなのか知りたがっている。盲学校の同じクラスの子どもたちは、こういう名前の病気なんだって、と家でよく話をしていた。だけどタケの目の病気は進行性の病気で、大人になると失明してしまうとは言えなかった。他の子どもたちはすでに失明しているか、上手にケアしていけば視力はそのまま保っていけるというものだったからだ。
「ねーえー」
めずらしくタケが聞きかえしてきた。夕陽がどんどん濃くなってきて松の木をこうこうと染め上げた。春の始まりを告げるような生あたたかくて重い南風が、何か新しいことを始めてもいいんじゃないか、と言っているような気がした。
「ほんとうに知りたいの」
私は少し笑いながら、でも、タケの意志を確かめるように聞き返した。
「うん!」
タケは満面の笑みで答えた。私は一瞬躊躇したが、それを悟られないように笑って答えた。
「あんたの病気はね、網膜色素変性症と言ってね。遺伝子の病気なの。次第に目の視力が低下して失明するかもしれないし、そのまま視力を保てるかもしれない。そういう病気」
子どもの頃に発症した場合は重症なのでそのほとんどが失明する、という医者の見解は言えなかった。
「遺伝子の病気!」
タケがびっくりして言った。
「うん。でもお父さんの親せきにもお母さんにも親戚にもタケと同じ病気の人はいなかったから、たぶんタケは突然変異。ミュータント」
「えっ!俺、ミュータントなの?」
「そうだよ、この病気にかかる人はね八千人から一万に一人なの」
「すげえ!」
タケが手を叩いて笑った。
私はタケに車に乗るように促し、自分も運転席に乗り込んだ。エンジンはかけずに、スマホで網膜色素変性症のサイトを検索した。そこに書いてあることを読み上げた。
「失明するかもしれない、だって」
『かもしれない』というところを私は何度も強調した。
次の日、学童へ迎えにいくとタケが「おれはミュータントなんだぞ、一万人に一人がかかる病気なんだぞ!」と滑り台の上で叫んでいた。

「……ぃらっしゃい!」
そば屋の上がり框を上がって引き戸を引くと威勢のいい声がした。
カウンターの向こうから大将がよく通る声で言った。店の中は開店間もないというのに客で一杯だった。
「良かったら、短冊に一個願い事を書いて行ってください」
おかみさんはテーブルにお茶を置くと、カウンター横の太い柱に括りつけられた笹を指さした。
「今日は七夕だったねえ」
夫がそういえば、と言った風に言った。
「タケ、なんか書いたら」
私はカウンターの隅っこに置いてあった短冊を一枚取ってくると、タケの目の前に置いた。
「そばを食べながら考える」
タケは黙ってしまった。
「兄弟がほしいとか?」
夫が言った。
「それはあなたのお願いごとでしょ」
私は少し冷たく言った。タケは一人っ子だった。タケを産んで以来、どういわけが子どもができなかった。が、自然に任せようと二人で話していたので、特別に不妊治療はしなかった。
タケはずっと黙ったままだった。三人で、運ばれてきたぶっかけそばを食べた。硬めに茹でたそばと細く切った長芋の歯触りが気持ちよかった。
「おれ、願い事を書くから先に行って」
先に食べ終えたタケはそういうと、短冊とペンを持ってカウンターの端を陣取った。
「――なんて書いたの」
私は食べ終えるとタケの背中に声をかけた。タケは一瞬怯えたような顔で振り向き、短冊を手で隠した。
「見ないで!」
「ごめんごめん」
私は謝るとタケは絶対に見ないで、と念を押してきた。
「好きな子ができたのかな」
夫はそういうと席を立った。
「お母さんはトイレに行ってくるから」
短冊を笹に吊るしているタケに声をかけた。短冊を見ると、ご丁寧に自分の住所と名前が書いてあった。タケは名前の面が表に来るように何度も神経質に直していた。
トイレから出てくるとタケの姿がなかった。夫の後を追って店を出たらしい。私は笹に近づきそっと短冊を裏返した。
『目のびょうきがなおりますように』
鼻の奥と目の奥がつーんと痛くなった。涙は出てこなかった。医者からタケの目の病気を告知されたときも同じだったことを思いだした。私は短冊を元に戻した。
「またお越しくださいね!」
おかみさんのかわいらしい声に、私は笑顔で答えた。

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