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#1 2019-12-27 09:59:13

sandal
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登録日: 2018-04-20
投稿: 47

『川を渡る』修正版

『川を渡る』---平家物語より---

    純白の旌旗が川風に揺れている。
木曽義仲追討鎌倉勢の将・源九郎義経は宇治川の防御線を強襲突破して京に入る作戦をとった。
  義経の下知のもと既に渡河戦は始まっている。
佐々木四郎高綱は天下一の名馬「生食(いけづき)」に騎乗し戦場を疾駆していた。

  生食は黒栗毛の並外れた強馬である。もともと頼朝の秘蔵であったが、鎌倉出陣に先だち特に高綱に下賜された。比類なき栄誉である。

「この御馬で、命にかけて先駆けを果たしてみせまする」
高綱はその場で言明し頼朝はじめ一座を感嘆させた。
この時の高綱の昂揚をはるか後世の歌人が詠んでいる。

      先駆けの勲(いさお)たてずば生きてあらじと誓へる心生食知るも  子規

  しかし高綱は一時の感激のみで壮語したわけではなかった。
700年後に歌に詠まれるとまでは思わなかったが、彼は自分の言動が頼朝や家来衆にどう印象付けられるかを十分に意識していた。どんな場合にも己を客観的に観て、その場に最もふさわしい言動をとれる。当意即妙に、且つごく自然に。高綱にはそんな才があった。

  今その生食に騎乗して戦場を駆けている。
さすがは駿馬。鎌倉勢の群を引き離して疾駆していた。
  ただ高綱よりさらに前方、全軍の先頭を駆ける一騎がいる。
この二騎が突出して先駆けを争うかたちになった。

  前を行く黒糸縅の鎧武者は梶原源太景季。
頼朝の側近・梶原景時の嫡男である。父・景時は平家側から寝返って巧みに頼朝に取り入り今や重臣として権勢をもつ。この翌年、義経を讒言して死に追いやる。陰湿な策謀家だった。
景季はそんな父とは似ても似つかぬ一本気の若武者である。性、剛直磊落。勇武の誉れ高く東国武士の亀鑑として衆望を集めていた。

  この景季と高綱との間で先日ひと悶着があった。
鎌倉を発つ前、景季も生食に目をつけ頼朝に拝領を願い出ていた。
が、頼朝は許さず、代わりにやはり名馬の「磨墨」を授けた。漆黒の悍馬であったが生食には及ばない。
京への行軍中、その生食に高綱が騎乗しているのを知り景季は激怒した。
自分が所望していた馬が他の者に贈られたとすれば恥辱である。景季は瞬時に決意した。
高綱を殺して自分も死ぬ。そうして自分を辱めた頼朝に報復する。
 
--- 名こそ、惜しけれ

が鎌倉武士の心髄である。この非常の決意もその現れだった。

  景季は直ちに高綱のもとへ押しかけた。
巨漢の景季は烏帽子の下の額が張り出し、鼻隆く、頬骨と下顎が見るからに頑丈そうな武者顔である。
その炬のような両眼で高綱を睨(ね)めつつ低い声で問うた。

「佐々木殿、生食は御所(頼朝)より賜ったのか?」

  返答次第では直ちに抜刀の気勢である。
高綱は景季の様子から瞬時に事態を察した。
そして公家のような端正な表情を変えず

「いや、盗んできたのだ」
虚言で応えた。咄嗟の機転だった。

「わしは是非ともこの名馬で戦場に出たかった。
それで馬番を謀(たばか)って盗み出した。
なに、これで勲をたてれば御所も許してくれよう。
お許しいただけねば腹を切るまで」

景季は一瞬呆気に取られ、それから俄かに表情を和らげて哄笑し

「盗んで来られたとな。
なるほどその手があったか。気づかなんだ。
わしもそうすればよかった」

それだけ言って去ってしまった。
拍子抜けするようなあっけなさである。

(・・・なんと、単純な男よ)
高綱は呆れ、ともかくも安堵した。
景季への思いは複雑であった。
高綱がただの才子であれば、己の機転を誇り景季の騙されやすさを嗤ったかもしれない。
しかし高綱は景季の美質を感じていた。

  高綱は武辺においても自分が景季に劣るとは考えていない。
ただ、彼には自負とも自嘲ともつかぬ思いがあった。

(おれは頭が回りすぎる…)

  すぐれた 棋士のように状況の何手も先を読み、その都度妙手を指してゆける。
咄嗟のうちに常人には思いつかないような言動をとることができる。
  しかし高綱はその才を恃んでことさらに立身栄達を望む野心もなく、景季の父・景時のように譎詐奸謀を弄する意思もない。
彼は犀利な己をもてあまし気味に醒めた眼でみていた。
 
  比べて景季はどうであろう。
戦士としての矜持をたかだかと保ち、ほかに余分の俗念をもたぬように見える。
ただ虚心に笑い、泣き、怒る。
無邪気とも天真爛漫ともいえ、それが彼の魅力であり、さらに坂東武者にとっての理想的人格だった。
高綱は自分を斬りに来た景季に僅かな好意と、微かな嫉妬を覚えた。
 
  その景季が、いま高綱の先を風のように駆けている。
躍動する甲冑が輝き、白銀の太刀が揺れ、前立の金が強く陽を跳ね返している。
高綱からみても燦然たる勇姿だった。景季は飛沫をあげて馬を川に乗り入れた。

  このままでは先駆けの栄誉は景季の手に落ちる。
高綱はほとんど無意識に景季に呼びかけた。
「梶原殿!磨墨の腹帯が弛んでござる!」
腹帯は馬の胴に鞍を固定する馬具である。弛んでいれば川中で鞍が外れてしまうかもしれない。
「かたじけない!」
景季は屈託ない笑顔で応じ、磨墨を減速して腹帯を締めなおす。
  その傍らを高綱の生食が一気に駆け抜けた。

  それからは両馬の力の差が顕になった。一旦脚を緩めた磨墨は流され気味になり、一方生食は川浪を押して驀進した。
高綱はついに一番乗りに対岸に乗り上げるや宝刀を天に掲げ

「宇多天皇九代の後胤・佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣なり!」

大音声に名乗りをあげた。
後に続く鎌倉勢からどっと歓声が挙がった。

  騙したわけではない。
無論、意図は景季の集中を途切らせる点にあった。景季があのまま一心不乱に突撃していれば高綱は抜き去れなかったかも知れない。
しかし実際磨墨の腹帯は緩み気味だった。自分の言は戦友・景季への忠告でもあった。
もし高綱を卑怯と罵る者があれば大喝して邪推なりと退ければよい。
常ながら老獪な政治家のような強かさであった。

  かくして高綱は先駆けを果たした。
戦は天下の耳目を集めている。高綱の驍名は海内に響きわたるだろう。
事実、この先陣争いは伝説となって萬世に語り継がれた。

  しかし、高綱にはなぜか功名の喜びは湧いてこなかった。
それは己の行為の後ろめたさゆえではない。
むしろ高綱は爾今に思いをめぐらせていた。

  これからも生ある限りこの乱世という大河を渡ってゆかねばならない。
それは宇治川よりもはるかに広く深く、かついつどこで流れが急変するとも知れない。
その果てることのない濁世(じょくせ)の濁流を、自分はこれからもこんなふうに凌いでゆくのだろうか…

  岸には義仲勢が待ち受けている。修羅の戦が始まる。
きらきらと輝く川波、極彩色の騎馬武者群、風になびく旌旗、極楽浄土を模した平等院の伽藍…
それらの情景が高綱にはまるで白昼夢のように映っている。

  合戦のさなか、大いなる武功をたてながら、高綱は奇妙な虚無と厭世の憂情を拭いきれずにいた。

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