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これは息子さんがモデルですよね。
平静客観的に書けるのは、すごい成長です。
物書きとして、地中に太い根っこを張った感じです。
まもなく安定して自信を持っていろいろなものが書けるようになるでしょう。
今回、私が指摘することは1つしかありません。
その1つをめぐる周辺です。
その1つとは、読者として「願いごとが先にわかってしまった」、ということです。
show3418さんが「泣かされました」と感想されています。
これは先に願いごとがわかっていたのかどうか。
わかってしまってもこれはよい作品ですが、お母さんが不意打ちをくらった以上、読者としても不意打ちをくらいたい。
(あるいは私はFBでこの話を読んでいたのでわかったのかもしれません)。
とにかく手品師のようにあらぬ方向に読者の意識をミスリーディングしたほうがいい。
1つは、
>通い始めて一年になるが、盲学校以外の友だちもできて、その子らを子分のように従えて遊んでいる。
リュックを取ってきたタケが、指導員さんにさよなら、と言った。
私だったらこんな親分からはいち抜けなのに、と思いながら、とにかく
この文が、タケの親分肌の間に指導員さんへのさよならが入って、やや難読になっています。
この はもっと、怒りっぽいけれど、気性がさっぱりして転換が早く、やさしいということを強調したほうがいいです。
そして、気分がどちらに行くか、母親の自分にもまったく読めない、というようにしたほうがいい。
そしてタケが自分の病気について問うところ。
ここはお母さん(私)の反応は、失明の可能性についてもっと内心ナーバスなほうがよいでしょう。
今の書き方は、あまりにこなれているのでドキドキしません。
ものすごくナーバスなのだけど、息子はあまり気にしたようには見えない。
顔色を伺っていると、ミュータントという言葉にとらわれて上の空に意識が行っているのでほっと胸を撫で下ろす。
そういうことをくっきりさせて場面転換するとさらによくなります。
オフライン
うおー!
「完璧!」って言われなかったぁ~(笑)
がーん。まだまだです。
>>この文が、タケの親分肌の間に指導員さんへのさよならが入って、やや難読になっています。
この はもっと、怒りっぽいけれど、気性がさっぱりして転換が早く、やさしいということを強調したほうがいいです。
あ!そっか。
ハルにさよなら、と言った。
と書けば良かったです。
>>あるいは私はFBでこの話を読んでいたのでわかったのかもしれません
あれ。書いてましたか。
>>平静客観的に書けるのは、すごい成長です。
息子や夫のことはかなり冷静に書けるんですけど、
自分のこととなると大暴走です。
次なる目標はここですね。
>>物書きとして、地中に太い根っこを張った感じです
ここをもっと詳しく知りたいです!
作家として肚が据わっている感じなのか
作家として書くテーマが決まってきた、ということなのか
それから、
サンダルさんの講評を読んで、
より良い自分になろう、という、意識を持ち始めたのって
明治以降のことだったんですね。
それ以前から「鍛練」ということばがあったと思うのですが、
(なかったらごめんなさい)
今よりもより良い自分になろう、という欲求は
人として、当たり前のものかなー?と思っていました。
だから自己啓発セミナーが盛んなんだ、とも思っていました。
私はずーっと「今よりも良くなろう」という希望……目的を持って生きてきました。
今年の1月からは、再び小説を学び始めました。
なかしょさん、あるいは、私のどちらかがいなくなったら
創作塾が終わるううう~!と思い、必死で書き続けました。
気がついたら、どんなメンタル状態でも書けるようになっていました。
書く人としての大切な基礎を身につけた気がします。
そして、1月の作品レベルと比べ、12カ月後の今回の作品レベルは
格段と質が上がったと、我ながら思います。
(思い上がって言っているわけではありません)
より良くなるために目的地へ向かって学ぶことは、
登山に例えると
ずっと急な山道を登り続けているようなものでした。
それが、やっと稜線に出てきたなー。と思います。
あ!でも、それは、今の表現に満足しているということではないんです。
自分の楽しみだけに書いていたものを、
誰かの幸せのために書いてみよう、という、
他者貢献の視点が生まれてきたことを意味します(o^-^o)
ライフワークを見つけた、と言いましょうか。
小説だけでなく、社会活動のほうも同じ気分です。
今年までがむしゃらにやりたいことをやったり、行きたい場所へいったりしてきました。
来年からはそれらを整理して縮小し、
本来やりたいことだけに集中していきます。
もちろん、小説修行は続けます!
14年目に入りますね。
今年は私にとって飛躍の年でした。
本当にお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
なかしょさん、一年間ご一緒できてたのしかったです。
来年も素敵な作品を読ませてくださいね!
サンダルさん、また俳句を読みに出かけたいです!
またご参加ください。お待ちしております。
それでは良いお年を!
でんでら
オフライン
>>物書きとして、地中に太い根っこを張った感じです
ここをもっと詳しく知りたいです!
作家として肚が据わっている感じなのか
作家として書くテーマが決まってきた、ということなのか
自分の弱いところを隠そうという防衛的な反応がなくなったということです。
田口ランディが自分の兄の病気と餓死を客観的に書いた時と似ているのです。
彼女は全く書くことを恐れない準備ができていた。
つまり弱さでもなんでもないぞ、という視点を持ったということです。
次の話です。
鍛錬とは、たとえば剣道のような本質を持ったものに対して、最善の努力をする、それが鍛錬。
そこにはメソッドがあり、進歩がわかります。
しかし、「より良い自分になろう」というのは、基準がないではないですか。
でんでらさんも小説を通じて成長を自覚された。
小説を書く人としての成長が、人としての成長でもあるわけです。
鍛錬というのは、そういうものです。
そこに抽象的な「自分はこうあるべきではないか」というような宙に浮いた悩みはないのです。
それから、
サンダルさんの講評を読んで、
より良い自分になろう、という、意識を持ち始めたのって
明治以降のことだったんですね。
オフライン
お返事をありがとうございます!!
>>自分の弱いところを隠そうという防衛的な反応がなくなったということです。
あー、これは自覚がありますね。
私の場合、隠そうとすればするほど出てきてしまいますから、
だったら堂々と吐き出しちゃえ、と思っています。
>>鍛錬とは、たとえば剣道のような本質を持ったものに対して、最善の努力をする、それが鍛錬。
>>そこにはメソッドがあり、進歩がわかります。
>>しかし、「より良い自分になろう」というのは、基準がないではないですか。
あー、そうですね!
「鍛錬」という言葉の意味を間違えて使っていました。
そして今の私には「自分はこうあるべきではないか」という悩みはないですね。
だから毎日が楽しいんだ!
オフライン
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