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これはよく書けていて、読みやすく面白い。
場所を得れば、このまま商品としての原稿になってしまうかもしれません。
例によってそういう意味の質は高いのですが、より高い要求もありうる、という作品です。
それは何かというと、佐々木四郎高綱が「近代的自我」を持っているということが欠点なのです。
「近代的自我」とは、簡単にいうと「自分とは何者だ、と考える自分」ということになります。
showさんが「何もかも説明してしまっている」と感想で述べておられますが、それはすべて「近代的自我」から発するところです。
自分のした行動、言った言葉をフィードバックして「自分とは何者か」と考える。
これはもっとも武士らしくないのです。
フィードバックする自我を再帰的自我と呼ぶとしますと、まったく再帰的ではない自我がありうるのです。
そして、再帰的自我は、明治維新以後に西洋の近代思想やシステムとの出会いから生まれたと考えられています。つまり、今生きている自分以外に「よりよい自分」がいるのではないかという批評軸が、西洋の思想から現れて、ダブルスタンダードとなったのです。
近代的自我の確立、と言いますが、実際のところ、確立などは少しもされず、ウジウジする。
西洋の個人主義とは別のところでウジウジしていた、ということが現代の日本を見るとわかるのです。
つまり、佐々木四郎高綱をウジウジさせていいのか? ということが分かれ道になるのです。
ウジウジさせてもいい、ということになると、新しい小説のマーケットになるかもしれません。
評論家の呉智英氏は、司馬遼太郎を「近代合理主義を通して歴史を見ている」と批判しました。
司馬遼太郎の小説は、とにかく視野が明るく透き通ってます。主人公たちは歴史の進むべき方向に対して、まったく合理的に動いて行きます。
楽観的で進歩主義的開明的な目で封建主義の時代を描いていきます。
それはたいへん偏った見方と言えます。
そんな批判と関係なく、司馬は大ベストセラー、ロングセラーの国民作家なのであります。
ですから、江戸以前の歴史的人物に近代的自我を植え付けて、その目で見た世界を描くという方法もあるかもしれません。
実際、近代的自我、再帰的自我が明治以前にはなかったのか、これは類推的方法で知ることができるだけで、人が何を内面で思っていたのかは簡単に言えません。
そのような2つの可能性を提示したあとで、やはり佐々木四郎高綱の内面を言葉で描くのを極力少なくして、同じことにトライしていただきたいと思います。
平家物語原文らしきものを探してきました。
「・・・武者が二騎引つかけ引つかけ出てくるを見れば、梶原源太と佐々木四郎ぢや。 人目には見えねども、内々先きを爭ふ輩なれば、眞先きに二騎つれて出た。 佐々木に梶原は一段ばかり馳せ進むが、佐々木河の先きをせられまいとてか、「梶原殿、この河は上へも下へも早うて馬の足利き少ない。腹帶の延びて見ゆるは。締めさせられい。」 といはれて、梶原實と思うたか、突立ち上つて左右の鐙ふみすかいて、手綱を馬のかうがみにすてゝ、腹帶を解いてしむる間に、佐々木つゝと馳せぬけて河へざつと打入れたれば、梶原これを見て、たばかられまいものをというて、やがて同じやうに打入れた。 「水の底には大綱を張らうぞ。 馬乘りかけて押流されて不覺すな、佐々木殿。」 というて渡いたが、河の半まではいづれも劣らなだれども、何としたか梶原が馬はのため形に押流され、佐々木は河の案内者、その上生食といふ世一の馬には乘つつ、大綱どもの馬の足にかゝるをば、佩いた面影といふ太刀をぬいてはつはつと打切り打切り、宇治川疾しといへども、一文字にざつと渡いて思ふ所へ打上つて、鐙をふんばり突立ち上つて、「佐々木の四郎、宇治川の先陣ぞ。」 と名のつてをめいてかゝれば、梶原は遙かの下より打上ぐる。・・・(『平家物語』より)」
ここでは、行動と発された言葉だけで、内面の動きは書かれていません。
このぶっきらぼうな感じに深い味わいを感じる人もいると思います。
しかし、現代では、これを読解できない人が大部分と思います。
そうすると、これを読みやすくすることにはたいへん意味があります。
しかし、今回の作品は近代的自我に引き付けすぎで、原文の格調を落としている気がします。
この翻案の塩梅の中にsandalさんは、どのような文学的な意図を持っていますでしょうか?
そこは「なんとなく」ではなく、意識的であってほしいところです。
現代的な視点で見るならば、このお話、友軍、敵軍の動きもおぎなってほしいところです。
駿馬にまたがった二人がかなり先行しているとすると、佐々木四郎高綱が単独で敵が充満している川の向こう岸に渡ってしまうことになります。
渡河の途中は、戦闘的には最も弱い状態にあります。
実際にwikiには、
>義経軍は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れる。
と弓矢による激しい攻撃があったことになっています。
全軍が渡りきってから「いざ戦闘」という悠長なことでなかったとすれば、佐々木四郎高綱にさほど遅れず功名を求める騎馬兵が次々に対岸に上陸しなければなりません。
そして大乱戦になる。
一騎だけでは、いかに勇猛であっても取り殺されてしまいます。
そこは平家物語では、だいぶ二人だけの動きにトリミングしてあるように思います。
ここらへんの原文にない騎馬隊全体の動きをフォローしてあると、さらに迫力がでたかと思います。
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村松さん、講評ありがとうございます。
たいへん深い評をいただき、いろいろ考え込んでまとまらずお返事が遅れてしまっています。
申し訳ありませんがいますこしお待ちください。
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