創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2020-01-25 23:30:04

show3418
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登録日: 2018-02-09
投稿: 301

結崎詣

西大寺境内で座長の清次と童子を見送った観世座の長老は、山門の陰に隠れるように立つ乙鶴と目線を合わせた。垣内{がいち}のジイと呼ばれるこの老人は、結崎の垣内の長{おさ}であり翁舞の伝承を統べる庭元{にわもと}である。二人とも芸能者とは見えぬ地味な麻の着物を細紐で結んでいる。女笠に顔を隠した乙鶴の元へ、老人はゆっくり近づいて言葉をかけた。
「おそらくは大丈夫。何かを感づいておりますよ。先に結崎に戻って待つが宜しかろう。」
「有難うございます。そうしたいのはやまやまですが、私にも小さいながら曲舞の一座がございます。いずれ一座をたたむにせよ、まだ少しやり残したことがあります。しばし鬼丸をお預かり下さいませ。」
「六歳の幼なが、母御前を恋うて泣くであろうに。」
「鬼丸は不思議な子でございます。一緒に旅をしておりましても、どうしても預けておかねばならないこともございます。一座の若い女たちに親しむのはまだわかりますが、初めて訪れたところでも、その土地の男たちにまで可愛がられ、そして鬼丸もその中で楽しそうにしています。かつて泣いたということを聞いたことがございません。」
「ほお。なるほどのお。芸能のために生まれてきた子よなあ。」
「舞の真似事も幼なとは思えぬごと舞いまする。あれが女{め}の子であれば私のもとで仕込みまするが、男{お}の子ゆえ清次様のもとに置いておきとうございます。離れて悲しむのは鬼丸よりも私でございますれば、
  どうかこの母をこそ
  憐ませたびたまえや・・・」
最後の一節には節をつけて謡いながら、乙鶴は背を向けて歩き始め、老人は途中となっていた小屋じまいに戻った。五尺ほどの小柄な体躯ながら胸板は厚く、長い白髪を首の後ろで束ねている。作業をしている観世座の若い衆が、仰ぐようにしてこのジイを迎えた。
  西大寺から結崎までは真っ直ぐ南に四里と少し、春の日の長さならば、芸能者たちの足で一刻半ほど、午過ぎに出て夕餉の支度の前に、一行は結崎大明神に戻った。古く延喜式に糸井宮として名前の見えるこの宮は、今は春日大社の下に結崎郷を統括している。大和社とも言ったが、他所へ出かける者たちは、郷の名を冠して結崎大明神と言い習わしている。宮司が出て一行を出迎え、螺貝を鳴らして里人に到着を知らせた。
  公演の成功と道中無事の御礼を祈念しているところに、里人たちが集まって来て出迎えた。結崎郷は、大和川の南側、少し雨が降れば流れを変えてしまう寺川という支流に挟まれた不安定な地域に、比較的小高い土地を石垣で囲った小さな集落が点在する非人の郷である。非人の郷とはいえ、芸能を司って奈良の興福寺や多武峰の妙楽寺の庇護を受けているこの郷は、田畑に縛られて年貢を搾り取られる近在の農村よりも、かえって裕福な暮らしをしている。
  集落の中でも宮に隣接する地域は、他よりも高い石垣で囲い垣内{がいち}と呼ばれていたが、そこに居を構えているのは翁舞の伝承者と認められた者に限られていた。他の集落の若者たちは、春の祭礼にジイを始めとする垣内の長老たちの前で試しを受けて、その資格を得ようとする。垣内の住人にはそれだけの権威と富があった。
  里人たちに囲まれているジイのもとに宮司が歩み寄って来た。ジイより頭ひとつ長身ながら胸は薄く肩幅も狭い。しかし背筋はしっかりと伸びて白髪を豊かに結い上げている。
「越前のもとに客じゃ。」
明るい調子で声を掛けたが、目は笑っていない。その表情から主は知れた。ジイは軽く頷いただけで我が家へ向った。越前というのはジイの連合いである。数年前に髪を下し念仏三昧の日々を送っているが、若い頃には曲舞の一座を率いて諸国を廻り、曲舞舞として名を馳せた。しかしこの里に隠居してから三十年、「客」と殊更に名を伏せる者といえば、越前が足利尊氏公との間に設けた直冬{ただふゆ}様に他あるまい。
  足利直冬。清次より六歳年長ゆえ今年四十二歳になる。尊氏が認知しないのを憐れんだ弟の直義{ただよし}の養子になり直冬と名乗った。武略に優れその人懐っこい性格から諸将の信を得たが、二代将軍義詮{よしあきら}とは折り合いが悪く、尊氏と直義が不仲となると最大の反幕府勢力となった。そして五年程前直冬党は瓦解、一時はこの結崎に潜伏していた時期もあったが、昨年義詮が亡くなり新将軍義満からはその消息を尋ねる回状が回っている。
  直冬は越前の前で無沙汰を詫びていた。豪勇無双の評判とは裏腹の華奢な風体だが、柔軟な身体と俊敏な身のこなし、そして変装の力でここ数年の幕府方による探索をくぐり抜けて来た。直冬に変装を教えたのは他でもない、垣内のジイである。直冬の柔和な顔は女にも稚児にも化けることができた。
「これより石見へ参ります。暫くお会いできなくなると思い参じました。」
「石見の吉川{きっかわ}様と兵を起されまするか。」
「いや吉川には世話になりました。私を幕府への手土産に献じようと存じます。」
「そのようなこと義満様が許されましょうか。」
「将軍とは既に話しをつけ申しました。昨夜花の御所に忍び込んであの少年と会って参りました。いや参りました。あれは大した男です。小姓に化けて閨に忍んだのですが、いきなり『叔父上さまか』と見破られました。それでいて怖がりもせず涼しい顔でこちらを見て、『もうお止めなされませ。これからは私がこの国をひとつに致します。』と言われました。十一歳にしてあの風格、落ち着きよう。赤松則祐が舌を巻いたと聞きましたが頷けまする。私はもう幕府に逆らうのはやめました。石見の国で人麻呂宜しく歌なぞ詠んで世捨て人になり申す。つきましては暫くおいとま申しまする。これまでのご厚情に感謝します。母上様を宜しくお頼み申します。」
「あなた様には辛い半生を送らせてしまいました。残りの世が健やかなるよう、母はこれより念仏を称えておりまするよ。」
  夜半、闇に紛れて旅立つ直冬を二人と宮司は結崎宮の鳥居で見送った。

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