創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2020-01-26 11:24:15

でんでら
メンバー
登録日: 2018-01-11
投稿: 334

安曇富士

数学の授業のときだった。
「宿題を忘れてきたやつは明日の朝イチに職員室へ持ってこい」
先生が言った。
私は隣の席のキョーコさんの肩をつついた。
「朝イチって何時のこと?」
「はあ?」
キョーコさんが目を丸くして、それからすごく私のことをバカにするように顔をしかめた。
私は、のどがきゅーっと締めつけられるような苦しさを感じた。
「ちゃこがまたなんか言っているよー」
キョーコさんは、後ろの席のヤマナミくんに告げ口するように言った。
「朝の一時だよ」
ヤマナミくんが答えた。そうしてキョーコさんと二人で笑った。

あれから十六年たって私は三十歳になった。メンタルクリニックの待合室には静かにクラシックの音楽が流れていた。日は暮れて、すりガラスの向こう側は暗かった。一月の冷たい雨が窓をうちつける。待合室に患者は私だけだった。

私は大学を卒業後、事務職に就職した。けれども職場の人間関係になじめず、たまに起こるはげしい下痢に悩まされていた。全身から脂汗がでて、一度気絶したこともあった。薬を飲んでも効果がなかった。胃腸科の先生にストレスからくるものだから、と言われ、自宅から離れたところにある松本市内のメンタルクリニックに予約を入れたのだった。
先生は私から家族構成を聞き、何に困っているのか聞いてきた。
「いろいろと調べて、自分は発達障害ではないかって思って」
先生はカルテにメモを取りながらうなずいていた。
「でも大人の診断は精神科へ行かないとできないと聞きました。それでここへきました」
私が話終えると、先生はカルテから顔をあげて無表情のまま口を開いた。
「残念ですが、僕には診断ができません。発達障害の専門家ではないからね。でも僕の友人で小児精神科をしているのがいてね、大人の発達障害の診察もしてみたいと言ってきた。僕もあなたみたいな相談をよく受けるものだから、ここでやってみたらと言ったんだよ。僕の診察が終わってからになるから、夜になるけど、それでもいいなら予約を入れて見て」
私はその日のうちに予約を入れた。

「おおくらちゃこさんー」
マスクをつけ、白衣に薄いピンク色のエプロンをつけた看護婦さんが私の名前を呼んだ。
私はどきどきしながら診察室に入った。予約を入れて一カ月。いちおう、小学校の時の通知表と、幼稚園の時の連絡ノートを持って行った。連絡ノートには思い当たる節のところに付箋を貼っておいた。
「はい、こんにちはー」
少し太った先生がパイプ椅子に腰かけて笑顔で挨拶をしてきた。
「発達障害だと思うって?」
先生は、カルテに私の名前と二〇〇七年一月二十五日と書いた。
「はい。たぶんアスペルガーじゃないかと思います」
先生は通知表の担任からのコメント欄を見ながら頷いていた。
「人からの指示を理解するのが苦手かな?」
先生が聞いた。
「はい。あれ、とかそれって言われてもわかりません。それに、みんな主語を抜かして話しているのに、誰が誰に何を言っているのか理解しています。私には理解できません。私だけ、頭の中の日本語翻訳機が上手く機能していないと思います」
「面白いこと言うね」
先生がにやっと笑った。それから神妙な顔つきになって、私の渡した通知表やノートを読み始めた。
「ノートには運動会のピストルの音で泣いたって、書いてあるね」
「あと、低空飛行する飛行機の音も怖かったです」
「典型的な感覚過敏だね。あと……たぶんねーADHDも入っていると思うんだよね」
先生が意表を突いた診断をしてきた。
「えっ、でも片づけはそこそこできます」
「でも通知表のコメントを見ると、いつもぼーっとしているって書いてあるでしょう。不注意型のADHDじゃないかって思うんだ。あなたは大人だからADDね。もちろん、アスぺも入ってると思う。リタリン、飲んでみる?ADDの部分がおさまれば少しは楽になると思うよ」
先生の提案を聞いて、私の気分は一気に高揚した。

診察の次の日だった。
松本市内のハローワークから国道に出て北に向かった。四回目の転職は自宅のある安曇野市ではなくて、松本市内にしようと思っていた。 車窓からは北アルプスの山なみが見えた。頂きの雪は真昼の太陽を浴びて輝いていた。西に曲がって犀川にかかる橋を渡った。目の前に安曇富士がみえた。本物の富士山に似ている山だ。雲一つない青い空と安曇富士の青い山肌が溶け込み、異界の地へおいでと手招きしているようにも見えた。山小屋で働いてみたい、ふとそんなことを思った。
自宅につくと、キッチンカウンターの上に、リタリンの入ったジップロックを置いた。リタリンは小さな粒だった。それらはすべて半錠にカットされ、ジップロックにまとめて入れられていた。最初は半錠からはじめると先生から説明があった。
ネットでは服用すると多動傾向が治まるが、そのあとぐったり疲れると書いてあった。初日はそうなってもいいように、すべての用事を済ませてから飲もうと決めていた。
ついに「普通」になれる薬を手に入れた。私は、クリニックを受診した時と同じような小さな興奮を覚えた。
母が台所に入ってきた。カウンター越しにちらりとリタリンを一瞥した。
「ほんと、いっつも心のことばかり考えて」
母は吐き捨てるように言った。

リタリンを飲んでしばらくすると、視界が少し狭くなったような気がした。いままであちこちに飛んでいた思考がまとまり、一本の線になったような気がした。いま何をしないといけないのか、自然とわかる。
職場の先輩に「あちこち手をださないで、一つのことが終わったら次の仕事をして」と指摘を受けたことがあった。先輩の言う手際よく仕事をする、という意味が今、わかった。
私はホームセンターへ買い物に出かけた。いつもなら忘れ物をしたり戸締りのやり直しをしたりで、車に乗るまで一五分はかかる。それが、今日は二分でエンジンをかけることができた。忘れ物がなかったのだ。
「先生の言う通り、ADHDのケもあったのね……」
先生は名医だわ、とひとり呟きながら近くのホームセンターへ車を走らせた。
運転席の窓から安曇富士が見えた。
私は一度目をこすった。何かが変だった。
(――いつもの安曇富士と何かが違う)
安曇富士の山肌の青が均質化して見えた。
(――なんであんなのに感動していたのかしら……)
急に、私は寂しくなった。不安がその後を追ってきた。
なんだか自分が自分でなくなった気がした。そう自覚したときから、ハンドルを持つ手が震えはじめた。薬の副作用だとは思えなかった。
ホームセンターで滞りなく買い物を終え家についた。手際よく夕飯の支度をしたが、食欲が全くわかなかった。二時間後薬が切れるとネットの情報の通り、体中がだるくなった。

次の日、私は一カ月分のリタリン三十錠をすべてトイレに捨てた。消毒に似た匂いが便器の底から沸いて、そのうち消えた。

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