創作する人のための文章学校-クラス専用掲示板

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#1 2020-02-25 23:46:47

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登録日: 2018-02-09
投稿: 301

「羽衣の家 天女の巻」第一章 乙鶴 二、結崎

連れ立って嵯峨野の清凉寺に向かった清次と童子の二人を、観世座の長老垣内{がいち}のジイは西大寺の大門で見送った。連れ立って歩く後ろ姿を見て、「まるで父子のような」と思いながら引き返す視線の片隅に、こちらに頭を下げている女が目に入った。姿の美しさに見覚えがあり、さてはと思いながら近づいたが、頭を上げた顔を見れば、果たして乙鶴であった。
   母親である先代の乙鶴が、頻繁に結崎に出入りしていたため、当代の乙鶴はそれこそ生まれてまもない頃から知っている。
「これは珍しい人に会うものじゃな。三年いや五年ぶりになるか。」
「播磨でお会いしたのが六年前でございます。お久しうございます。」
「おお。早やそれほどになるか。清次も今までここにおったに・・。や。さてはあの童子はそなたのお子か。そういえば良く似ておったわ。儂としたことが迂闊であった。」
「恐れ入りまする。しばしあの子をお預かり下さりたく、垣内さまに拾っていただきました。それであの二人はいずこへ。」
「これは乗せられたのお。清次めはお子としばらく話しをしての、誰とも知らぬ母を訪ねて嵯峨野へ行くと言っておったわ。何やら感づいているようでな。それではあれは清次の子か。」
「これは垣内さまとも思えません。私のようなものに、子の父を問うなど。」
「いやいや他の者がどうあれ、産みの母がわからぬことはあるまい。」
「殿方にそのように話すおなごがおりますれば、それは誰を父としたいかということでございますれば、よくよくお気をつけ下さりませ。」
「それでは、何故お子と離れるのかの。清次の子としたいのならば、そう申して結崎に来れば良かろうに。」
  乙鶴はそれには答えず、ゆっくり西門の方へ歩き始めた。垣内のジイはしばらく肩を並べて歩く。西門まで来てようやく重い口を開いた。
「誰を父としたいかと申しました。誰を父としたくないかということもございます。私はあの子に、戦で命を落とす武士にはなって欲しくないのです。このまま結崎へ参りたいのはやまやまなれど、私にも小さいながら曲舞の一座がございます。いずれ一座をたたむにせよ、まだ少しやり残したことがあります。しばし鬼丸をお預かり下さいませ。」
「六歳の幼なが、母御前を恋うて泣くであろうに。」
「鬼丸は不思議な子でございます。一緒に旅をしておりましても、どうしても預けておかねばならないこともございます。一座の若い女たちに親しむのはまだわかりますが、初めて訪れたところでも、その土地の男たちにまで可愛がられ、そして鬼丸もその中で楽しそうにしています。かつて泣いたということを聞いたことがございません。」
「よく人商人に拐われなんだものよ。」
「拐われたものを取り返したこともございますよ。」
「ほお。なるほどのお。荒くれを手玉に取るなど御身にはたやすいこと。」
「いずれにしましても、あれが女{め}の子であれば私のもとで仕込みまするが、男{お}の子ゆえ清次様のもとに置いておきとうございます。離れて悲しむのは鬼丸よりも私でございますれば、
  どうかこの母をこそ
  憐ませたびたまえや・・・」
  最後の一節には節をつけて謡いながら、乙鶴は背を向けて歩き始め、老人は途中となっていた小屋じまいに戻った。五尺ほどの小柄な体躯ながら胸板は厚く、長い白髪を首の後ろで束ねているその姿を、作業をしている観世座の若い衆が、仰ぐように迎えた。

  西大寺から結崎までは真っ直ぐ南に四里と少し、春の日の長さならば、芸能者たちの足で一刻半ほど、午過ぎに出て夕餉の支度の前に、一行は結崎大明神に戻った。宮司が出て一行を出迎え、螺貝を鳴らして里人に到着を知らせた。
  古く延喜式に糸井宮として名前の見えるこの宮は、今は春日大社の下に結崎郷を統括している。大和社とも言ったが、他所へ出かける者たちは、郷の名を冠して結崎大明神と言い習わしている。
  結崎郷は、大和川の南側、少し雨が降れば流れを変えてしまう寺川という支流に挟まれた不安定な地域に、比較的小高い土地を石垣で囲った小さな集落が点在する非人の郷である。非人の郷とはいえ、古くから錦の綾織を伝える女工や、漆を扱う職人を郷内に抱え、その上芸能を司って奈良の興福寺や多武峰の妙楽寺の庇護を受けている。郷内の人々は、田畑に縛られて年貢を搾り取られる近在の農村よりも、かえって裕福な暮らしをしていた。
  集落の中でも宮に隣接する地域は、他よりも高い石垣で囲い垣内{がいち}と呼ばれている。そして垣内に居を構えるのは翁舞の伝承者と認められた者に限られていた。他の集落の若者たちは、春の祭礼に長老のジイを始めとする垣内の住人たちの前で試しを受けて、その資格を得ようとする。垣内の住人にはそれだけの権威と富があった。
  里人たちに囲まれているジイのもとに宮司が歩み寄って来た。ジイより頭ひとつ長身ながら胸は薄く肩幅も狭い。しかし背筋はしっかりと伸びて白髪を豊かに結い上げている。
「越前のもとに客じゃ。」
明るい調子で声を掛けたが、目は笑っていない。その表情から「客」の正体は知れた。ジイは軽く頷いただけで我が家へ向った。越前というのはジイの連合いである。数年前に髪を下し念仏三昧の日々を送っているが、若い頃には曲舞の一座を率いて諸国を廻り、曲舞舞として名を馳せていた。しかしこの里に隠居してから三十年、まもなく六十歳になろうかという越前に、「客」と殊更に名を伏せる者は一人しかいない。

  その日の早朝のこと、越前の家に案内を請う壮年の侍があった。越前は既に身支度を整えて念仏の勤めの最中であったが、その声を聞いて戸口へ急いだ。しかし気は急くのだが、さすがに立ち居に手間取った。老いを呪いつつその分声が大きくなる。
「直冬{ただふゆ}殿か、直冬殿。あら懐かしやの。ようお出やられました、直冬殿。」
「お静かに願います。どこに人の耳があるやも知れませぬ。それがしの名をば口になさいますな。」
「ああ、これはごめんなさい。とにかくまづ奥へ上って下さい。」
  足利直冬は今の将軍義満の叔父にあたる。幕府を興した尊氏公が、まだ二十歳かそこらの頃、曲舞の一座にいた越前のもとに一夜通って出来た子であったが、尊氏は自分の子と認知しなかった。一説には、尊氏の正室赤橋登子が自らが産んだ嫡子、後に二代将軍となる義詮のために、庶子を退けていたためと言われている。尊氏の弟の直義{ただよし}はこれを憐み、自らの養子として直冬の名を与えて成人させた。その明るい性格と、戦いで発揮する智勇は、多くの武士たちの支持を得たが、これがかえって義詮を取り巻く大名たちに警戒と猜疑を呼び起すこととなり、直冬は長門探題に任ぜられて、西国にやっかい払いされた。観応の擾乱{じょうらん}と呼ばれる尊氏と直義の争いが起こると、直冬は長門から九州に移り、九州探題として反尊氏、反義詮の旗を掲げた。この騒乱は鎌倉で直義が尊氏に降伏し獄中で急死すると、一応の終焉となる。九州に残された直冬は、なおも石見へ進出して幕府と対立し、南朝と結んでまでして一時義詮を都から追い払ったが、そのわずかひと月後、決定的な敗北を喫して、以降は行方知れずとなった。以来十三年が過ぎた。
  幕府の目を逃れていた間、七、八年前までは時々ひょっこり顔を見せていたが、その後は「討たれた」「捕まった」と聞かないことを頼りに過す日々であった。越前が尊氏の寵愛を受けた越前の局と知るのは、結崎でも限られた者だけだった。
「心配していましたよ。この前ここに来てからもう七、八年前になりましょうか。何処でどうしておいででしたか。」
  奥の部屋で腰を下して、越前は直冬の顔をまじまじと見た。巷では豪傑のように言われているが、実の直冬はやさ男である。観世座の清次は六歳年下だが、背格好はよく似ている。二人でいるとどちらがおたずね者の武士でどちらが評判の芸能者やらわからぬ、と思えてしまう常であったが、さすがに長年の逃亡生活は直冬の面貌に凄惨な影を落としている。
「しばらくは石見やら筑紫やらを回っておりましたが、果すべき望みもありますゆえ、清水に参籠しておりましたところ、義詮が死んでしまいました。新将軍のことはよく知りませんが、南都に下ると聞いたものですから、やって来ました。」
「義満様の命を狙っていると申す者もおりますが、真でございましょうか。」
「亡き養父{ちち}の供養にもなるかと思いますので、狙っておりまする。」
「やはりそうですか。お前がそう思うことは無理もありません。でもこの母の残り少ない命を見届けることは忘れずにいて下さい。」
「かなわぬかも知れませぬな。不孝をお許し下さい。」
「せめてこの七年のこと。欠かさず母に聞かせて下され。」
  様々物語りを尽していると、昼前に宮司がひょっこりやって来た。直冬の顔を見て少し驚いた風だったが、その無事を喜ぶと、母子二人に水を差さぬようにとしばらくして宮へ戻って行った。越前が夕餉の支度に取りかかろうかという頃、宮の方から法螺貝の音が聞こえた。西大寺へ行っていた観世座の一行の到着を知らせる宮司の息であった。
「どうも賑やかになるようですな。ジイさまもご健勝、清次も盛んなよし。聞かせていただき嬉しうございました。人目に触れぬ先においとま申します。」
しかし、越前の引き留める程もなくジイは戻って来て直冬を押し戻した。
「やれ。このジイに会わずに帰ろうなど、不孝が過ぎましょうぞ。実は訳あって清次は今日は戻らぬゆえ、一座の若い連中も今日はここへは参りませんでな。夜になれば宮司も来ます。一夜はここに泊まり、明けぬさきにお帰りあれば宜しかろう。」
  押し戻されてしかたなく、直冬は再び旅装を解いて奥の間に直った。ジイは西大寺での興行の顛末に続けて、乙鶴と童子のことを語った。
「ところで人の申すには、義満様を狙っているというが、まことか。」
「さき程母上からも同じことを聞かれ申しました。養父の供養にもなるかと思い、狙い申しておりまする。」
「さてそれは如何なものかの。あの方はまだ十一歳ながら既に鳳たる気を身につけておられると聞く。実は我等は六年前に播磨でお会いしている。五歳ながら読み書きはもとより、法華経について我等にお話しなされた。神童というはあの方のことであろう。」
「五歳の童子が法華経とは、俄かには信ぜられぬお話でございますな。六年前ということは赤松則祐の白旗城でのことでございますか。」
「さよう。清次が近江の佐々木導誉様の紹介で赤松則祐様のところに参りまして、いろいろお世話になり申した。その折のことです。」
  ジイの夜語りにやがて宮司も加わり、直冬は未明に結崎を離れた。年寄り三人も暗い中を宮の鳥居に出て見送った。満開の桜を朧の月が照らしていた。

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