[プロ編集者による] 文章上達<秘伝>スクール Archive

秘伝264号の質問 「言葉を丸くするには?」

●質問●

村松様、はじめまして。**と申します。

質問というのは、言葉を丸くする方法についてです。

私はどうも言葉にとげが生えているようで、ネットなどでたまに反感をいただいてしまいます。
原因は、本音で話すことにあると思いました。
今までも、できるだけ丸く丸く、相手の心を傷つけないように心がけてきました。

現実ではそれで上手くいくようになり、何が良いのか癒し系とまで言われるようにもなったのですが、ネットでは上手くいきません。
相手によってはとても喜んで下さるのですが......その差が激しいのです。
おそらく現実でも、相手が言わないだけで傷つけていることがあるのだと思います。

全ての人に反感をもたれない、というのはやはり難しいのかな、と思いつつ、諦めきれません。
(......後略)



解答はこちら...まもなく264号配信です。


秘伝262号の質問 「読者からの感想について」

●質問●

はじめまして、突然の質問で失礼します。
私は友人が開いている小説投稿ブログで長編小説を投稿させていただいております。
折に触れ友人がコメントをくれ、興味をもってくださった他の読者の方も管理人(友人)を通して個人的な質問を寄せてくださるのですが、その受け止め方について困惑しております。

「面白かった」等の感想をいただくと、嬉しいと同時に大変いらいらしてしまうのです。

決して感想を下さった方の読みが浅い、などではございません。むしろ逆で、「登場人物についてここまで考えてくれたのか」と感動するほどです。いらいらする道理などなく、私も貶されたくて書いているわけではもちろんありません。しかし「面白い」といわれると、大変むず痒く何故か苛立ってしまい、感想をくれた大切な読者にこんな気持ちを抱いてはいけないと思って自己嫌悪に陥ります。
(......後略)



解答はこちら...まもなく262号配信です。


秘伝261号の質問 「評論とエッセイ」

●質問●

私は某新聞のコラムに半年間評論文を書くお仕事をもらいました。それだけで、天まで舞い上がるほど嬉しいのですが、はた、と。評論文?このコラムで今まで読んだものは、エッセイに近い、いや、完全にエッセイじゃん、というのもあったので。
編集者に聞いたところ、エッセイの形で人に問題を投げかけ、考えさせることもあり、厳密な線引きはないと考えられる、と。
私もそうかなあ、と。エッセイは、自分の日常感情や心の動きに重きがあり、評論は、自分の意見・主張に重きがある。感情と意見は、必ずしも分かれるわけではないから、エッセイっぽい評論もあれば、評論っぽいエッセイもあるだろう。
 
でも、これは、ちゃんとした評論文だよ、というものも書きたい。
 
そこで質問です。エッセイと評論の違いは何だと思いますか。
(......後略)



解答はこちら...まもなく261号配信です。


秘伝260号の質問 「評価の客観的基準」

●質問●

いま、世間の客観的基準は、どんな位置にあるのでしょうか。
客観的基準をクリアしようとすることは、自己のオリジナリティを押さえ込むことでしょうか(個人的には、必要に応じ、部分的に抑えることに関して、何の苦も感じません。ほかの箇所で発散すればいいだけだと思っているので)。

主観的基準はどうでしょうか。バラバラであっていいはずのものですから、好き嫌いの判断基準になることは間違いないことですけれど、良しとするレベル(水準)までもが高低バラバラですよ。しかも低の水準の人物が、それを低だとは思っておらず、単なる好き嫌いのはなしだと言い張っている。
主観的基準にだって最低限のレベル(ある程度の客観的基準)はあってしかるべきだよー、とは言い切れないものでしょうか。文芸においては言えそうな気がするのです。
(......後略)



解答はこちら...まもなく260号配信です。


秘伝259号の質問 「小説の文章が書けない」

●質問●

これはもうバカの思い込み以外の何ものでもないのかもしれませんが、私は小さい頃から、自分は書く人間なのだ、と信じて疑わずに生きてきました。
それが自分の心、存在価値を支える大きなエネルギー源でもありました。
物心ついたころから古今東西の文学、物語の中で息を吸うのを何よりも幸福と感じ、文章という、このあまりにも優雅で、繊細で、力強く、深く、温かく、偉大な力に、自分も身を投じる生き方をしたいと望んできました。
私にとって、小説家として生きることは人生最大の目標です。

ところが、小さい頃から、書いたものはよく評価されてきたものの、振り返ってみればそれは作文や論文、エッセイ、コラムといった、伝えたいこと、あるいは伝えたい相手が明確にいる場合に書いた文章であることが多く、小説、というかたちで文章に取り組んだとき、恐ろしいほどに書けない壁にぶつかってしまうのです。

具体的に例を出してもいいでしょうか。
(......後略)



解答はこちら...まもなく259号配信です。


秘伝258号の質問 「書店ポップの書き方」

●質問●

村松さん
こんにちは。****です。
いま本屋でコミック担当として働いており、たまに自分のおすすめのマンガの帯やPOPを書いています。
書いたものをあとで売り場で読み直すと、いまいちぼんやりしていて、インパクトにかけてます。
見本を出している場合はマンガの内容のおかげで売れるのですが、もっと魅力的な文章にできるはずと思うんです。
人目を引いて、ずばんと心に入り込んで手にとらずにはいられないようなPOPを書くにはどうしたらいいのでしょうか。
お客さんには、あの本屋に行くと、いままで知らなかったマンガが紹介されてる、売れてるマンガだけどこんな見方もあるんだ、なんか変わったお店だよねと思ってほしいのです(現時点でそんなお店ですが)
どうぞよろしくお願いします。



解答はこちら...まもなく258号配信です。


秘伝255号の質問 「読者の反応をどうとらえるのか」

●質問●

私には追求していきたい題材があり、様々なアプローチで書いてみたいとの思 いがあります。
各社の編集者さんからは、社のカラーに応じた切り口を求められることはあり ますが、そのテーマに興味を示し、受け入れて下さることが殆どです。
「いま書くべきことは書ききった」と思えるものを、世に出しているつもりな のですが、その後の反応で、迷いに陥るわけです。

新作を出すと、他社からオファーがかかることがよくあります。
つまりA社の編集者さんが評価したものを、B社、C社の編集者さんも評価し て下さったのだと解釈しています。
けれどもネット書評やネット掲示板等では、酷評が相次いだりします。
なぜネット上でのコメントを気にするかと申しますと、 「こうした声こそ市場の生の声」「ネットの反応=作家・作品の評価基準」 と考える編集者さんたちが(私の周囲で)増えてきたからなのです。
となりますと、「この作品は良い」と判断した編集者側の目を尊重すべきなの か、「この作品はダメ」と判断したネット側の声にこそ耳を傾けるべきなのか、 分からなくなってしまうのです。


解答はこちら」...まもなく255号配信です。


秘伝250号の質問 「王道な物語を書きたい?」

●質問●
「王道な(ありがちな)設定・物語展開・登場人物を使っても面白い小説を書 くことができるか?」

新人賞などではオリジナリティが強く求められる傾向にあると思います。それでも王道な物語を書きたい場合には、どのようなことに留意すれば、新人賞などでも高く評価されるのでしょうか?オリジナリティ云々は関係なく、読んでみて面白いといえる作品ならいいのでしょうか?

解答はこちら」...まもなく250号配信です。


秘伝249号の質問 「何時間読んで、何時間書くか」

●質問●
こんにちは。気になることがあり質問をしようと思いました。
ここ最近からプロの作家になりたくて文を書くようになりました。小説を少しでも面白く、読みやすくしたくて毎日少しずつ書いています。そこで疑問がありました。それは、小説を上達するには一日最低、どれくらいの時間を書いたら良いのか。また、一ヶ月にどれだけ本を読んだら良いのか。ということです。
小説を書く時間が決まっていれば、その余った時間の分を読書に回すことが出来るし、それらを日課にもしやすいだろうと思います。今、私は一日に平均一時間半程、小説を書きます。本を読むのは、5日に一冊のペースです。こんなことは既存の質問かもしれませんが、教えてください。よろしくお願いします。

解答はこちら」...まもなく249号配信です。


秘伝248号の質問 「抽象的な概念が理解できる文章を書きたい」

●質問●

村松恒平さま

毎回、配信されるメルマガをとても楽しみにしています。
文章の成長を促すだけでなく、心の成長も促してくれます。
本当にすごいメルマガです。

早速ですが質問です。
「抽象的な概念が理解できる文章を書きたい」のですが、どうしたらいいのか困っています。

私は今年、息子の通う保育園の保護者会役員になりました。
仕事内容は、地域の人たちへ、お便り(4~6枚程度)を発行すること。
お便りの内容は、保育園が掲げる保育理念や子どもたちの生活を地域の人に知ってもらう、ということが主です。

今年一発目の、お便りの内容は「保育園の指導内容の誤解をとこう!」ということになりました。
というのも、公園に出かけていって私が「**保育園に通わせています」というと
「うわ~、うちの子もいかせた~ィ」派と
「え......**保育園って遊び方が激しいよね。猿みたい。おまけに野放しじゃ
ん。規律がまるでない」派に別れるからです。

そこで後者の方々に焦点を定めまして、野放しに見えるけど、そこにはちゃんと意味があるのです、という内容で書きました。

具体的にいいますと......
●遊び方が激しい(例:山に登る・川に飛び込んであそぶ・喧嘩は(原則)とめない・泥遊びを満喫する)のは「心を育てることに必要なことなのだ」ということをたとえを使って説明しました。
●規律がない(昼食時のときに挨拶をしないこともある・朝、出欠席の確認をしない・みんなで机に座って作業するする時間が少ない、など)といいますが、実は子どもの様子を見ながら、皆で一斉に昼食の挨拶をすることもありますよ、といった内容。

園長先生からは「すごくわかりやすかった!こういう表現ができてうらやましいわ」と言っていただきました。しかし「私は長年保育に携わっているから、ストンと胸に落ちたけど、今の若い人たちに心を育てるってことが理解できるかはわからない」といわれました。
園長先生がおっしゃるには「今の若い人たち、特にセンター試験に変わった頃の人たちとは、心のありようについて議論ができない」そうです。抽象概念が理解できない、そうです。
実際、何人かの知人に原稿を読んでいただきました。皆一様に「難しい」との反応がかえってきました。
「独りよがりな文章を書いてしまったのだろう」と反省するとともに、難しいといった人たちの意見を大まかに分けてみました。
すると
①「心の教育」といったものに興味がない
②JIS規格みたいに「①*** ②****」と具体的な項目を設けてほしい。
③心を育てることに興味はあるけど、(保育園側の)言っている意味がわからない

といった感じにわかれました。
①については「興味云々以前に、そんなことを保育園に聞いてどうするの。保育園の仕事じゃないでしょ。そんな質問思いつきもしなかったわ」という感じの方が多かったです。これは至極当たり前のことで、こちらこそ、変なことをいってしまってすみません、と頭を下げるばかりです。

②については、まあ、そういう人もいるかな~です。

問題は③です。
「興味はあるけど、言っている意味がわからない」
こういう方にどうやって心のありようを説明したらいいのか、わかりません。
私としては「時間や子育ての経験をつめばわかってくるんじゃないかな」って思うのですが。

(もしかして、園長先生がおしゃっていた「抽象概念を理解できない若い人」たちなのかなあ、と推測していますが......ちなみに、10年くらい前の保護者たちとなら、心のそだちについて議論できたそうです。)


村松先生はよく「こころのありよう」を文章におこして書いてらっしゃいます。
(しかもわかりやすい!!)
読者の方に理解していただくために、どのような点に気をつけて、かいていらっしゃるのか、教えていただければありがたく思います。
よろしくお願いいたします。


「解答はこちら」...まもなく248号配信です。


秘伝246号の質問 「ジャンルは不問」「斬新な作品を求む」とは?

●質問●

文学賞の募集内容で、「ジャンル自由」「ジャンルは不問」と書かれているものがあります。

また、それに加えて「斬新な作品を求む」や「既成の概念を打ち破るような作風」などと、いかにもニュータイプ(?)な作品を求むかのように謳ってあるものも見受けられます。

 

これらの募集内容は、一見、「なんでもこい」的な自由な色合いが感じられ、書く側にとっては投稿先の選択肢が増えてうれしいような気がしますが、しかし同時に、「本当に自分のこの作品(作風)で応募してもいいのだろうか(範疇に当てはまるのだろうか)」などといった不安な気持ちにもなります。

 

こういった募集内容の言葉は、どのくらいの許容範囲と受け止めればよいのでしょうか。

 

といいますのは、各文学賞の過去の受賞作品を見た場合、文学賞ごとにだいたい傾向が決まっているような感じがしますし、現実的には、突拍子もないような作品(作風)が受賞していることは、あまりないように思います。

ですので、やはり文学賞の選択は、「ジャンル自由」や「斬新な」などという言葉を鵜呑みにせず、無難な方向で考えたほうがいいのでしょうか。

「自由」「斬新」という言葉の許容範囲というか、さじ加減が今ひとつよくわかりません。

 

 

 

「解答はこちら」...まもなく246号配信です。


秘伝244号の質問 「構成力がない」

●質問●
いつも楽しく、時にはあまりに鋭いお言葉に指の間から覗くようにして拝読しております。
村松様の文章を読むと、モヤモヤしていたものがはっきりして、言葉の持つ力を思い知ります。
さて、そのお力を是非お借りしたい質問があります。

それは「物語の構成力」についてです。

私はプロを目指して小説を書いております。
投稿作を書き終わった直後は夢中でポストに投函するのですが、その作品を後から読み返すと、展開のぎこちなさ、ツギハギ感に愕然とします。
これは話を書く時に大まかな流れしか考えていないからいけないのだと思い、次からはストーリーと登場人物の設定を、交互に計10段階を踏んで決めていくという方法を使ってみたのですが、2作書いてみて、ぎこちなさはぬぐえませんでした。

一体どうしたら自然な流れの話を書けるのでしょうか?

ちなみに書いているのは少女向けライトノベル(ファンタジー)で、原稿用紙で250枚から350枚位のものです。

こんな根本的なことをお聞きしてしまうのは、虫が良くて申し訳ないのですが、悩んでいます。
もしお答え頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します。

 

「解答はこちら」...まもなく244号配信です。


秘伝243号の質問 「ジャンルは足かせ?」

●質問●
「ライトノベル作家や少女小説家、またはポルノ作家などの経歴が、別のジャンルの作家になるときに足かせになるか」ということです。

「携帯小説作家やライトノベル作家になって、ゆくゆくは普通の作家にステップアップしたいと思ってるんだけど、これは可能だと思う?」
というようなことを何人かの方から尋ねられ、わたしはその度「携帯小説作家、ライトノベル作家、それ以外の作家、は別物だと思う」と返事をしているのですが。
つまり、ステップアップということではなく、そのジャンルで面白いもの、売れるものを書けるのであればそれ以外の作家になることは可能だと思う、ということなのですが。

そこで疑問が一つ。昔は都市伝説のように「少女小説家はそれ以外の作家にはなれない」というような話を耳にしていました。
これは文章力などの関係でそう言われていたのかな、と思っているのですが、「普通の作家になるときに、少女小説家、ライトノベル作家、または特殊な(官能小説家やポルノ作家)であったという過去は足かせになる」と言うことも実しやかに囁かれていたように思います。

実際のところ、少女小説家からそれ以外の作家に転向した例は少なくないですし、面白いもの売れるものを書ければ、過去の経歴は関係ないのかな、とも思うのですが、実しやかに囁かれていたことには何か訳があるのだろうか、と思いまして。
そういった、過去の経歴が一般的な文芸作家になるにあたり、足かせになるということはあるのでしょうか。

 

「解答はこちら」...まもなく243号配信です。


秘伝241号の質問 「読みたいもの、書きたいもの、書くに適したもの」

●質問●

作家志望の方に意見を求められて、答えに悩んだのでそのまま質問させてもらいます。
「読みたいもの、書きたいもの、書くに適しているもの、は別々か」ということです。

普段好んで読むジャンルの話を書くのが良いのか、書きたいものを書くのが良いのか、それとも個人個人で書くに適したもの(文体や雰囲気、知識やなにかで、合ったジャンルや話)を書くのが良いのか......。
わたしは、書きたいと思うもの、誰かに伝えたいと思うこと、を書けば良いのではないかと思うのですが。人によって意見が違うようですし、「私はどういうジャンルを書いたら良いと思う?」と時折尋ねられるので。そう尋ねられてみると、自分に合っているジャンルというものがあるのかどうか、確かにわたし自身も気になります。

 

「解答はこちら」...まもなく241号配信です。


秘伝239号の質問 「子どもが本を読まない」

 ●質問●
いつもメルマガを拝読しています。
質問が枯渇した、ということなので、つまらない質問でもかまわないかとおもい、質問させていただきます。
 うちのむすめはまったく本を読まない、のはなぜか?
小さい頃に読み聞かせをあまりしなかったのが原因ではないか、とか、ビデオのほうが好きだったから、とか、本を与えすぎて興味がなくなってしまったのか、とか、いろいろ考えてみるのですが、ひとりむすめだし、ほかの子どもたちと比較しても比較のしようがないし、彼女がふつうなのかもしれないとおもったりもします。
中学生になり、ちまたで話題になっていれば、漫画やそれに派生した小説を買って読んでいるようですが、あるいは、ネットで話題になっている本やCDを近所の本屋で買っているようですが、もしかすると、それくらいがふつうなんでしょうか?わたしの子どもの頃が、ヘンだったのでしょうか?
漫画の発売日には本屋へ行き、映画化されているような本はたいてい誰でも読んでいたし、それでも足りずに、好きな作家の本やベストセラー、専門書、それでは飽き足らず、いつもおもしろそうな本がないか、意味もなく本屋を徘徊していたような気がします。
今、学生街に住んでいるのですが、そうやって考えると、学生が本屋を徘徊している姿というのも案外めずらしいし、それでいて、バナナダイエットが話題になると、いっせいにバナナが売り切れたり、納豆騒動のときも納豆がなくなっていたし、本屋でそういう品切れがでないのは、もしかすると本がリサイクルされているせいかもしれないし、興味があればネットで検索しているのかもしれないし、立ち読みしている人なんて皆無ですね、今は・・・礼儀正しいというか・・・
むすめと一緒に本屋へ行くのは、たいてい参考書を探しているときくらいで、5分くらいで用事は終わってしまうし、「ほかにほしい本はないの?」と訊いても、一瞬考えるのですが、「いいや」で終わりです。
もっと言ってしまうと、この前、ネットの友達と森瑤子さんの小説が話題になったのですが、もう発売されていないのでしょうか。そうやって考えて、むかし母が読んでいたような本を探してみたのですが、母の年頃になってから読もうとしてももう本屋には並んでいません。
日本のプロ野球がどうなっているのか、いつのまにかわたしにはまったくわからなくなってしまっているように、本屋へ行ってもまるで未知なる世界が広がっていて、興味がないか、知らない、かのどちらか。そこでしかたなく売れすじなどがランキングされているので眺めるのですが、ちょっと考えて、またにしよう、という感じ。またにしよう、というのは、時間のあるときに、という意味なんですが、案外忙しいのでヒマがない。
よい読者がいないのに、小説を書きたい人は増えているような気がします。でも、何を書いているのでしょうか・・・村松さんのメルマガを読んでいても、たまにわからないこともある。特に、ジャンルのことなど。だんだん偏りが出来ているのかもしれないですね、好きな人は好きだし、興味のない人はない、という具合に。
親として考えた結果は、もしかするとむすめのほうがふつうで、わたしの子どもの頃の感覚のほうがまちがっているのかもしれない、という気がしているのですが、どうなんでしょうか。

 

「解答はこちら」...まもなく239号配信です。


秘伝238号の質問 「読むのが遅い」

●質問●

いつも読ませていただいています、***と申します。

自分は高校の終わりに小説に興味を持ち始めて、現在は大学のサークルで短い文章を書いたりしています。
高校以前は本をほとんど読まない生活をしていたので、いまでも読書スピードが遅く、悩んでいます。
憧れという面からも、作家さんたちの読書体験に関する記事を雑誌やインターネットでよく読んでいるのですが、それが決まって皆さん読むスピードが速いそうなのです。
例外的な方もいらっしゃっいましたが、その方は一度読んだ本は再読の必要が無いくらいまで想像しきるとおっしゃっていました。
読書のスピードと、想像の精度はどんどん読んでいく内に自然と身に付くものなのでしょうか?
この頃は句読点を目安に言葉の音を繋いでいくように読んでいて、それまでよりは速くなったと思うのですが、さらにスピードを上げようとすると、どうしても素読か、拾い読みのようになってしまい、理解度が著しく落ちてしまいます。
速く読む場合は必ずそうなって、繰り返し読んで理解していくことに意義がある、というものなのでしょうか?
アドバイスなどしていただければ幸いです。

 

「解答はこちら」...まもなく238号配信です。


「秘伝236号の質問 集中力がなくなった」

●質問●

小説やエッセイを書いています。同人誌に年2回、50枚までの小説、エッセイなどをこの5年ほど発表し続けています。
ところが最近、なかなか集中できず、30分ぐらい書くとやめてしまいます。そのため、未完成のものが幾つかあります。
以前、村田喜代子さんの講演会で、お尋ねしたところ、「1作完成したら次へ。同時に複数の作品は書かない」と。村松さまも「短編は集中力で1週間で完成せよ」「未完成のものはゼロ」などとおしゃってます。私もそのように書こうと思うのですが、気が乗らずに、別の物語を書き出したりして、結局、幾つか中途の作品を抱えています。毎日机に向かう、その習慣だけはついているのですが。コーラス、セミナー、友人とのおしゃべり、さまざまな気分転換を試みつつ、書き続けようとしているのですが。
集中力を高める、持続する、何かア ドバイスがありましたら、教えていただけたら大変うれしいです。

 

「解答はこちら」...236号配信は11月初旬の予定です。


「秘伝235号の質問 マニュアルの書き方」

●質問●

どんな質問でも・・・という お言葉に甘えて 質問させていただきます

現在私の書いているのは、マニュアル書なんです。
文学と違って、形容詞や副詞はほとんど必要ない文章です。

わかりやすいマニュアル書を作るには、どのようなところに注意したらいいで
しょうか。

今書いているのは、「×○管理運営システム」といったソフトのマニュアルで
す。


 

「解答はこちら」...235号配信は10月11日予定です。


「秘伝234号の質問 衝動と目的」

●質問●

こんにちは。
いつもメールマガジン楽しみにしております。
**といいます。
(以前にご質問、カウンセリングでお世話になりました)

今回の「表現にとって技術とは何か?」、とても興味深く読ませていただきました。

今日は「いまここ」に関して質問させてください。

※以下、ずっと自分の中で整理できずにきたことなので言葉の定義がぐちゃぐちゃだったりするかもしれませんが、どうかご容赦ください。

「いまここ」、哲学とか仏教に出てくる言葉でしょうか。
これまでにも何度か聞いたことがあるような気がします。

村松様は「初期衝動」と表現されていましたが、例えば「これが好き!」「やってみたい!」「楽しそう!」というような気持ちだと言い換えてよいでしょうか。

私はいつも「思い立ったが吉日」で、夜中に部屋の模様替えを始めてみたり突然、旅行に行ってしまったり、ということが多いです。

とにかく夢中で何かをしているときだけが生きていると感じられる瞬間です。

今、編集の仕事をしているのも、「好き!」という思いだけで続けてきました。

ところが世の中ではいつも「理由」を求められます。

例えばマスコミの入社試験では、いつも「なぜこの仕事をしたいのか」という作文を書かされるのですがどんなに理屈をつけても、自分の「好き」「楽しい」という感情は説明できるものではないという違和感がありました。

「どうして好きという気持ちだけじゃだめなんだろう」。
いつもそう思います。

一方で、目指すところがないと、なんだかふらふらと刹那的に生きているような不安にかられることもあります。

特に、「やりたい!」という衝動だけで動いていると、それがなくなってしまったときに突然、空虚になります。

「何のために生きてるんだろう」「何がしたいんだろう」さらには「このまま消えたらラクだな」......などと。

以前、村松さまが「目標と目的」というテーマで説明されていましたが、ようするに私は「なぜ?」を考えていないということなのでしょうか。

人生の目的を探求していくことと、自分の中の衝動とはどういう関係にあるのでしょうか。
あるいはセンタリングの感覚というのはどういうことなのでしょうか。

「解答はこちら」


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