糸地獄2006

芝居を見るのは好きではない。
なんか濃密な空間に入っていくのに薄く閉所恐怖症的なものを感じる。
面白い芝居への期待より、つまらない芝居への恐怖のほうが強い。
若いときに義理やつきあいでアングラ芝居を見過ぎた。
濃密な空間にいて、芝居の世界に入り込めないと、自分の中が濃密になってくる。
濃密なつまらなさの中にいると圧が高まって怒りすら感じるが、芝居というのは、途中退出するのも、すごい自己主張になってしまう。僕は怒っても「お前のはつまらない」と喧嘩をふっかける方向性はない。静かにフェードアウトしたい。
でも、昨日は三軒茶屋シアタートラム、ムープロジェクトの「糸地獄2006」に出かけた。
プロデュースのムーさん(ぼくはむ~だ)の芝居は見たことがあって、安心感がある。
ムーさんは、岸田理生さんの片腕として芝居の制作などしていた人で、僕は奥さんともども縁があるが、説明は省く。
岸田理生さんは、寺山修司の天井桟敷にいた人で、「身毒丸」などの脚色もしている。自分の劇団も持ち、たくさんの戯曲を残している。
今年が三回忌に当たり、10くらいのイベントが全国で追悼的に行われた。その一連の動きのメインの舞台と言っていいのではないだろうか。
***
演出も役者さんもすごくよかった。
なにしろ13人も女優さんがでて、それが同時に舞台にいることが多い。
この出入りがとてもスマートで、スムースだ。
そうして、当然役者さんたちにとっては、具体的な意味のある台詞やアクションがない時間が多いのだが、その間、気は抜いていないのだが、脱力している。「何もしていない」役者の時間が充実している。
だから、台詞のない人たちを見ていても安心していられる。
これは、ムーさんオリジナルの芝居を見たときにも感じたことなので、あるいは、岸田理生-寺山系の集団的演技術の基本かもしれない。
技術っぽいことばかり書いたが、過剰な主張がなく、客の興を削ぐ部分を排除することを中心に、ていねいに作られていることが演出の特徴だ。
その結果、戯曲の言葉が大切にされて、テーマが明確に浮かび上がってくる。
若いときテーマを過剰に意味ありげに神秘化するようなアングラ芝居を見過ぎたので、こういうのはさわやかな感じがする。
役者さんは、
ベテラン女優さん
若い女優さん
男優さん
の三群にわけられる。
4人のベテラン女優さんはみんな理生さんのゆかりの人たちなので、異様に波長が合っている。4人が語り合う場面は見所だ。マクベスの魔女とかやらせたい。
若い女優さんもぴちぴち、メリハリが利いてあぶなげがない。
男優さんは舞踏系の人が多くて、みんな立ち姿や動作がいちいちかっこいい。
最後にお芝居のテーマは、やはり寺山修司っぽいのかな。どうも男女関係もあったようで、寺山の分身という感じがする。分身というのは、つまり似ているけど、独自である、一方的に影響を受けたのではなく、相互に干渉しあった、という感じ。しかし、この件、あまり詳しくないので語れない。
テーマは、じつは現在の僕のテーマとはあまりシンクロしない。しかし、記憶に深く残りそうな芝居であったので、あるとき、リンクする場所が見つかるような気がする。

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