205号の反響

205号のうれしい感想が届きました。1号前なので、こちらでご紹介します。
心が弱るのは、とても単純なことの積み重ねの場合があるのです……。
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村松恒平様。
****と申します。
京都市に住んでいます。
初めてメール致します。
とても遅いですが、秘伝205号、「再生のプロセス」への感想です。
私はパニック障害ではありませんが、「人の目をじっと見る」人です。
もともと、人付き合いは小さい頃から苦手な方です。
パソコンの画面やテレビ、新聞なども、「じっと」
必要以上に強く見つめてしまうので、疲れてしまって苦手です。
大人になってからは、薬の副作用で療養の身となり、
今現在、普通の人よりはまだ体力がないけれど、外出できる、という感じです。
外に出て働く、ということに、とても怖さを感じています。
でも、もうそろそろ、ちょっとでもいいから、何かしようと思っている所です。
村松さんのご回答を読んでいて、私は色んなものを
全て受け入れよう、とするクセがあることに気付きました。
外の情報はみんな正しくて、人の(私を非難するような)意見も正しくて。
誰かが最初にいったであろう、私を非難したり否定するような意見を、
自分にずっと、エンドレスで言っていました。
自分とはそういうものだ、と、本当に思いこんでました。
でも、今、周りにそういうことを言う人は、いません。
むしろ、高校以降は、周りから高い評価をもらうようになってきて、
最近では、否定的な評価を、始終私に言っているのは、自分だけです。
そのことに頭では気付きながらも、
「だって昔、みんながこう言ったから」と、こだわっていたのですが。
今回、もうちょっとお腹に近い所で、そういう評価を今でも
与えているのは自分だ、と実感できました。
人の意見で生きようとしていることを、まだ沢山やって
いるんだな、と改めて気付きました。
基準点が自分にないので、色んな情報や意見を聞いては、
処理しきれなくて、あっぷあっぷしていました。
今でもまだ、よくあぷあぷしています。
最近はちょっとセーブがきいてきました。
「それは人の意見だ」という視点が出てきました。
で、意見を押しつけられた時に、「私はそれはイヤだ」というと、
親しかった友人が数人、離れていったことがあります。
その時は悲しかったのですが、反面すごくほっとしました。
その人達のことは、今でも嫌いではないのですが。
多分、コントロールしようとする人と、される人というのは、
ワンペアなんですね。どちらが悪いというわけではなく。
無意識にその片側をやっていたんだな、と過ぎてみて気付きました。
みんな「自分にとっては正しいこと」を言っています。
だから、ある意味どの意見も正しいんです。
でも、自分にとっても、誰にとっても、それが正しいとは限らない。
当たり前なんですが、最近それを実感しています。
食べ物だって、体に合う合わない、おいしいと思うもの、思わないものがあります。
いくら評判のお店でも、自分は「別に」や「おいしくない」と思うこともあります。
意見や信念、人間関係だって、そうですよね。
人間関係や、誰かの意見や視点を取り入れることについて、
「選んでいいんだ」という観点が、ほとんどなかったことに気付きました。
食べ物や生活雑貨などは、「好き」「エコロジー」「機能性」
という観点から、すごく選んでいるのに。
「選ぶのは、わがままで、いけないことだ」と思ってもいました。
自分が感じているように感じることを、自分に許していませんでした。
今、すごくほっとした気分です。
まだまだたくさん、棚卸しが必要なものがあるのは分かっています。
でも、棚卸しが必要なものが、前よりももうちょっと、ぼんやりとですが
見えただけでも、ほっとしました。
もっと自分と和解していこうと思います。
こうやって村松さんが明確に表してくださったこと、
質問者の方に、心から感謝致します。
ありがとうございます。
暖冬とはいえ、寒くなって参りました。
どうぞご自愛下さい。
それでは失礼致します。
良いお年を。
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さて、まぐまぐ大賞に一票を(笑)。
http://www.mag2.com/events/mag2year/2006/

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