ネタとは

文章のタイプにもよりますが、ネタというのは、特別な知識や情報に限りません。
どこにでもあります。
椎名誠は、
「俺はカツ丼一杯を食う間の描写で400字10枚は書ける」
と豪語したそうです。
(また聞きなので、不正確です。枚数は5枚だったような気がする)
ようするに消化能力の問題です。
ネタというのは、外から入って来た情報が内側から湧いてきたアイデアと出会ってはじめてネタとなるのです。
外からみると、インプットされたものがアウトプットされて出てくるだけなのだけれど、同じものを見ても書く人によって違うものが変換されて出てくる。
人間というブラックボックスの中でとても興味深い変換がなされる。
この変換機能を味わうことが文章を味わう奥義なのですね。
この変換に僕は人間の魂の領域での小さな錬金術を見ます。
どうしてこんなに違うものに変換されるのか。
人間の魂の個性というものが、後天的にとってつけたように分化したものではなく、生まれたときから、本当に一人一人違うオリジナルなものなのだ、と感じさせてくれることが文章や音楽や絵画などのすぐれた表現の力ではないでしょうか。
オリジナルな表現に出会うと人は、個性の存在をはっきりと確認し、個性を自分のなかにも発見し、そして、それを自由に表現してもいいのだ、という勇気を与えられます。
僕の評価が最も高いのは、そういう勇気を与えてくれる文章です。
もちろん、これは純粋な表現としての基準であり、文章には、それ以外に情報性や娯楽性などの基準もあります。
ただ、いつもその底流にあって、読書の喜びを支えているものは、やはり文章の表現力だ、ということは変わりません。
というわけで、ネタばかりにとらわれてはいけない、というお話でした。