亀田と米長

昨日の亀田の試合の判定は困ったものだ。
ホームタウンデジションというのはどこの国でもあるだろうが、程度というものがあるだろう。
日本はもう少しフェアな国であってほしかった。
あんなことをしても亀田人気は続くだろうが、今後、日本で亀田兄弟の挑戦を受けるチャンピオンがいるのだろうか。
ノックアウトしなければ負け、という試合を引き受けるチャンピオンがいるのか。
いるとしたら、どんな事情か。
興味深いところだ。
昨日の試合はボクシングは不公正なスポーツだ、ということをくっきりと印象づけた。
それは亀田という花を咲かせて、ボクシングという根幹を枯らすようなものだと思うが、きっとボクシング界はそれどころではないのだ。
格闘技花盛りの中で、ボクシングだけは痩せていく。
亀田が咲かなければ夢もチボーもないのだろう。
事情はわかる。
しかし、最近の日本の大人たちは事情だけで動きすぎる。
こうして語っているが、ボクシングにはさほど深い思い入れがない。
ただ亀田現象に興味がある。ミーハーなファンと同じである。
ボクシングを愛する人は、昨日の試合をなんとみるのか。
機会があったら聞いてみたい。
将棋界の騒動のほうは、将棋ファンとして愛のある一言を送りたい。
米長、ボケたか。
ざっと新聞で記事を読んだだけだが、下記のように僕は理解した。
簡単にいうと、米長が将棋連盟の会長になって、最初の一手で、名人戦を毎日から部数も多くお金のいい朝日に乗り換えようとして騒ぎになっているのである。
名人戦は、昔、朝日とトラブって、毎日に移ったいきさつがある。
毎日は当時王将戦を持っていた。その上に、名人戦も引き受けた恩があるのである。
その毎日に瑕疵がないのに、ただ金のためにまた朝日に乗り換えようとしたのである。
この背景にも将棋界のじり貧がある。
だから、金が必要なのはわかるのだが、金額がセコいのである。
日経によれば、名人戦の掲載料総額が3億5千万ほど。
サッカーやゴルフの選手一人の稼ぎに及ばないのである。
将棋というのは、それほどみみっちい世界であるということを見せてしまったのである。
そして、日経の記事によれば、たかだか2千万ほどの金額の上乗せのために、米長は動いたように読める。
これは将棋の格を下げる大悪手である。
米長、なんのために人生やビジネスを将棋になぞらえて語って来たのか。
愛読者だったのに。
朝日に移る画策をしてもいいが、そのときに、なぜ8億だ、10億だとふっかけなかったのか。
それができなかったのは、井の中の蛙である。
倍のお金がもらえるから、将棋界のために泣いてくれ、といわれれば、毎日だって納得のしようがあるだろう。
しかし、2千万のはした金で後ろ足で砂をかけられてはたまったものではない。
とにかく毎日を訪れて深く頭を下げなさい。米長。
そして、出版社を訪れて「ヒカルの碁」の将棋版をやってもらいなさい。米長。
それが起死回生の一手だ。
そして、将棋ファンのマンガ編集者がこれを読んだら、少年たちのために、ぜひ将棋マンガを企画していただきたい。
貧乏してもいいが、格を落としてはいけない。
それを大事にする人を昔、士といった。
棋士も士であり続けてほしい。

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