哲学の根拠

今朝、自分の哲学の根拠とはなんだろうとふと思いつきました。
哲学の根拠とは、絶対なる神の啓示である。
……ということだとシンプルでよろしいが、宗教と見分けがつかなくなります。
もう少し人間的な基準を吟味していかなくてはなりません。
*心が概ね平穏であること。これは物事を公正に吟味するのに必要です。
*自分自身を含めて、あらゆる物事をいつも同じモノサシで測ること。
*自己評価が安定していること
これは精神的な条件。
この三箇条は相互に関連して同じ事を言っている部分がありますが、大切なことです。若いときに比べたら、ずいぶんできるようになりました。
*時代を超える目を持つこと。特別に歴史の勉強はしていませんが、バブルとその崩壊や、デジタル機器やインターネットの爆発的な発展と普及という歴史の変わり目をこの目で見てきました。すごく日本人のメンタリティも変わった面があります。時代によって変わるものは、人の本質ではない。だから、変化を見れば本質がわかるということ。
*空間に規定されるものも同様です。だから、本当は世界中を旅したり、外国で生活してみたほうがいいのでしょう。これは自信がないから、僕の哲学は日本的な限界があるでしょう。
*信頼できる友人がいて、話が通じること。ときどき会話によって自己確認をしないといけない。違うことを言ったら反応してくれる友人は大切です。
*尊敬する先人がいること。よい本を読むこと。これも独りよがりにならないために。
*余計なことをしないこと。今は働き者の時代なので、哲学者は怠け者がいいのです。
以上は外的条件。
あとは個人的おまけ。
*酒を飲むこと。サルトルは明晰さを保つために飲酒をしなかったと言いますが、それはケチ臭い哲学ですな。シラフの意識と酩酊した意識の落差を利用して認識する。これは東洋的伝統です。
*勝負ごと。とくに囲碁、将棋、麻雀をすること。これは思考力とともに感覚を養います。理由は面倒なので書きませんが、小中学校で囲碁などを正課にすれば、確実にいじめは減るでしょう。コンピューターゲームではダメです。
こういうことが学問の蓄積などより、ずっと判断の基準として重要だと僕は思いますがどうでしょう?
……というわけで来年はみんなで哲学しましょう!