●質問●
こんにちは。
いつもメールマガジン楽しみにしております。
**といいます。
(以前にご質問、カウンセリングでお世話になりました)
今回の「表現にとって技術とは何か?」、とても興味深く読ませていただきました。
今日は「いまここ」に関して質問させてください。
※以下、ずっと自分の中で整理できずにきたことなので言葉の定義がぐちゃぐちゃだったりするかもしれませんが、どうかご容赦ください。
「いまここ」、哲学とか仏教に出てくる言葉でしょうか。
これまでにも何度か聞いたことがあるような気がします。
村松様は「初期衝動」と表現されていましたが、例えば「これが好き!」「やってみたい!」「楽しそう!」というような気持ちだと言い換えてよいでしょうか。
私はいつも「思い立ったが吉日」で、夜中に部屋の模様替えを始めてみたり突然、旅行に行ってしまったり、ということが多いです。
とにかく夢中で何かをしているときだけが生きていると感じられる瞬間です。
今、編集の仕事をしているのも、「好き!」という思いだけで続けてきました。
ところが世の中ではいつも「理由」を求められます。
例えばマスコミの入社試験では、いつも「なぜこの仕事をしたいのか」という作文を書かされるのですがどんなに理屈をつけても、自分の「好き」「楽しい」という感情は説明できるものではないという違和感がありました。
「どうして好きという気持ちだけじゃだめなんだろう」。
いつもそう思います。
一方で、目指すところがないと、なんだかふらふらと刹那的に生きているような不安にかられることもあります。
特に、「やりたい!」という衝動だけで動いていると、それがなくなってしまったときに突然、空虚になります。
「何のために生きてるんだろう」「何がしたいんだろう」さらには「このまま消えたらラクだな」……などと。
以前、村松さまが「目標と目的」というテーマで説明されていましたが、ようするに私は「なぜ?」を考えていないということなのでしょうか。
人生の目的を探求していくことと、自分の中の衝動とはどういう関係にあるのでしょうか。
あるいはセンタリングの感覚というのはどういうことなのでしょうか。