テーマとは何か

テーマという言葉は、よく使われますが、漠然と使っているだけで、人に説明しようとすると、じつはよくわかっていない人が多い気がします。
テーマは直訳すれば主題で、恋愛をテーマにしたドラマといえば、終始、恋愛をめぐるストーリーが展開する、というくらいの認識の人が多いでしょう。
しかし、文章のテーマということを考えるときには、次のようにとらえてください。
「テーマは文章の一貫性を支える軸で、テーマによって何を書くか、何を書かないかが決定される」
とくに後半の「テーマによって何を書くか、何を書かないかが決定される」という部分が重要です。
子どもに作文を書かせると、「朝起きました。歯をみがきました。顔を洗いました」という文を書きますが、これは完全にテーマ不在の例です。何を書かない、という基準がないと起きたすべてを書こうとすることになります。
では、ある人が恋愛をテーマに文を書こうとした場合、それで書けるでしょうか。
やはり、それだけでは書けないのです。たとえば、恋人同士が半日デートをするという情景であっても、細かく書けば400字200枚でも300枚でも書けるでしょう。
しかし、そんなものを読みたい人はいません。
ということは、さらに細かい取捨選択の基準、すなわちテーマが必要になってきます。
本当にものを書くためのテーマとは、世間一般で大ざっばに言われているものより、ずっと細かなものです。たとえば、反戦がテーマの小説があるとしても、「反戦」という2文字ですむなら、何も何百枚もの原稿は必要ないのです。
テーマが明確につかめていれば、文章は比較的すらすらと書けます。いろいろ悩んで書きあぐねているときは、その人の中でテーマがブレていたり、混乱しているときです。
テーマが絞れていないと、あれも書こう、これも書こうと思い、その中の優先順位が決まりません。テーマが絞れていると、吟味された素材が優先順位順に並んでいる状態になりますので、それを生かす構成というのもむりやり頭をひねらなくても自然に出てくるのです。
文章力というものをよくボキャブラリーの問題にしたりする人がいますが、それは枝葉末節です。まず第一はテーマです。そして、最後までテーマです。
アマチュアだけではありません。プロの最高峰でも、テーマをいかに設定するか、絞るか、という部分で腐心しているのです。
ただ、テーマをどう絞るかということは、どういう世界観でものを見ていくか、とほとんど同一のことであって、一朝一夕には上達するというものでもありません。
小手先ではなく、いわば、精神の全身運動のようなものをしながら、自分の感覚でつかんでいくしかないのです。
もはや、その感覚というものは言葉で説明できる領域を超えています。「文は人なり」という格言があるように、テーマの探求がはじまると、文章はそれぞれの人間の個性に深く根ざしたものになっていきます。。だからこそ、文章を書くこと、読むことには一生つきあえる愉しさと、奥の深さがあります。