校長先生のブログ 死の恐怖 Posted on 2008年4月23日 by 村松恒平 死の恐怖を分類してみたまえ。 老いや病の苦痛と死に至るまでの恐怖 死の瞬間の恐怖 死後の恐怖 これらは混同されている。 死に至るまでの恐怖がいちばんコワいかな。
校長先生のブログ 50代 Posted on 2008年4月22日 by 村松恒平 50代になってから自分の死や老いについて想像することが多い。 死ぬときには気が澄んでいるようにしたい。 死に向かってできることはそれだけだ。
校長先生のブログ 無用 Posted on 2008年4月19日 by 村松恒平 芸術も哲学も宗教もその純粋な部分は無用である。 役立てようとする道を誤る。 大量の不純物と混ぜたときに、世の中と歯車が噛み合い、有用となる。
校長先生のブログ 日本人 Posted on 2008年4月18日 by 村松恒平 日本人は物事を平面化する達人である。 明治維新以来、概念を理解しないまま、西洋化してきた。 知識人と呼ばれる人たちは、この不思議な乖離を嘆き、憤って きたが、一向に変化する節はない。
校長先生のブログ 概念 Posted on 2008年4月17日 by 村松恒平 知識や情報は2次元、概念は3次元だ。 2次元を積み重ねても、3次元にはならない。 図面で立体を表すように知識を使わなくてはならない。
校長先生のブログ 異次元 Posted on 2008年4月16日 by 村松恒平 あらゆるところに異次元への扉がある。 その扉は、現実のささいなほつれめとしてある。 些細で繊細で、ありふれた取るに足らないもの。 意味ばかり追いかける人には、それは 決して目にとまらない。
校長先生のブログ 新風舎倒産 Posted on 2008年1月8日 by 村松恒平 自費出版ビジネスに対する正しい評判と理解がようやく燃え広がったということだろう。 短い天下であった。 すでに金を受け取った人の本はきちんと出すのか。 出せるのかどうか。 先日は某社の真面目な自費出版の担当者からメールをも...
校長先生のブログ 哲学の根拠 Posted on 2007年12月30日 by 村松恒平 今朝、自分の哲学の根拠とはなんだろうとふと思いつきました。 哲学の根拠とは、絶対なる神の啓示である。 ……ということだとシンプルでよろしいが、宗教と見分けがつかなくなります。 もう少し人間的な基準を吟味していかなくてはな...